歴史上の人物には、なぜか生存説がついて回る。 今をときめく『麒麟がくる』でおなじみの明智光秀。彼は徳川家康のブレーン、南光坊天海(なんこうぼうてんかい)となって長寿を全うした。いやいや、世界を巻き込んでなら、源義経はじつはモンゴル帝国の創建者、チンギス・ハーンだったなんてものまで。 死んだことを信じたくない、そんな願望から出た噂なのか。それとも、火のない所に煙は立たぬ……なのか。 どちらにせよ、生存説にはそれなりの根拠がある。 まず、死亡時の状況が明確でない場合には、生存説が出る可能性が高い。だって、死体がないんだもの。そりゃ、ひょっとしたら、生きてるかもってなるじゃない? 一方で、たとえ死体があったとしても、やっぱり生存説が出ることも。この理由は、ズバリ影武者の存在。影武者がいるとなれば、当然、本人は別の場所でピンピンしているワケで。死亡という事実に疑いが残る。 死んだのになぜか死んでな