西本願寺の境内にそびえる国宝・飛雲閣は、金閣寺、銀閣寺とともに京都三名閣と呼ばれています。 豊臣秀吉が造営した聚楽第の遺構なのだと、以前はそう伝えられていました。 じつは、はっきりとした確証がいまだ得られていないために、真か偽なのか論証は続いているんですね。 秀吉が引き継いだもの 戦国時代、本願寺と織田信長の間には根深い確執があり、本願寺の本拠地である石山本願寺をめぐって、11年間もの攻防が続いていました。 信長の本願寺に対する嫌悪感はかなりのもので、顕如が率いる本願寺に対して徹底的に戦いを挑んでいます。 また、この時代のころまでは、いわゆる国一揆だけではなく、各宗派による宗教戦争も当然いたるところで勃発していたのです。 天台宗山門派と日蓮宗の大規模な対決もそうですし、日蓮宗による浄土真宗・山科本願寺の焼き討ち事件も起きています。 中央政権の統治権が機能していない無秩序な状態が長く続いてい