サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
www.kouhei-s.com
言葉の響きと文章の調 文章読本としては異例のロングセラーとなった「日本語の作文技術」。 著者である本多勝一氏はその本文のなかで、文章表現における巧みなリズム感の必要性を強く説かれています。 本多氏によると、人は本を読むとき目で活字を追いながら無意識にリズムを感じ取っているのだといいます。 だからリズムの無茶苦茶な文章は、読者を無意識的にイライラさせ、長時間の読書を耐え難くさせてしまう原因となってしまうのです。 また、谷崎潤一郎や川端康成といったいわゆる文豪と呼ばれる小説家たちが書き下ろした「文章読本」の類でも、このリズムとか調子に対する考察が大きな比重をかけて説かれているんですね。 とくに、川端康成のリズム調へのこだわりには並々ならぬものが感じられ、その思想に非常に興味深く引き付けられます。 少年時代、私は「源氏物語」や「枕草子」を読んだことがある。手当たり次第に、なんでも読んだのである。
そこに「場面」をともなうか 日本語の表現のひとつに、受身、または受動態と呼ばれている文法カテゴリーがあります。 「思われる」「求められている」「販売されている」などといったように、他に働きかけることを表す他動詞に「れる/られる」がついた表現ですね。 なぜ、私たちは知らず知らずのうちに文の最後に受身表現を使ってしまうのでしょうか。 さらに、それによって読み手にどのような表現効果を与えているのでしょうか。 その理由を考察するためには、まず前提として、日本語のテキストは2種類のタイプにハッキリと区分されているという事実をもう一度強く意識下に置いておかなければなりません。 ひとつは小説・報道文といった描写文であり、受身を使うことで主語に視点を近づけ「私」を投影することができます。このタイプのテキストには常に具体的な「場面」がともないます。 そしてもうひとつのタイプが、その具体的な「場面」をともなわ
アスペクト 皆さんがブログを執筆されるとき、そう、たとえば動詞を使って、一つの文の締めくくりを表現されているとします。 「走る。」「食べる。」「買う。」、確かに自分が書いている言葉なんだけど、妙に、何だかしっくりこないなと、感じられたことはなかったでしょうか。なにか、落ち着きが悪いというか。 そんなとき、「走っている。」「食べている。」と書き直すだけで、面白いほど、自分が表現したかった内容にピタッとハマったという経験をされたことがきっとあるはずです。 これはアスペクト(局面)と呼ばれる文法カテゴリーの話になるのですが、今回はそのアスペクトの法則を説明していきたいと思います。 「現在」「過去」「未来」、私たちは身に起きた出来事がどこの時点で発生したのか、もしくはするのかを常に意識しながら生きています。 「出来事」という概念は「事柄」と言い換えたほうがわかりやすいのかもしれません。 事柄が「い
たったひとつしかない係助詞 「は」 わたしたちが日本語で文を書こうとするとき、その語順は比較的自由に並べることができます。 英語の場合ですと、主語は原則として必ず文頭に置かれ、それに合わせてbe動詞や一般動詞の選択がされることになります。 つまり、語順を勝手気ままに変えることはできないんです。 一方、日本語ではあくまでも文末の述語が中心的存在になるので、名詞と助詞(後置詞)がセットになった補語を、述語にペタペタと貼り付けていくだけで文は完成されます。 だから、日本語の文では、「が」のついた主語が必ず文頭に置かれるなんて必要はどこにもないんですね。 ヒロシが 裕子に 花束を 贈った。 花束を ヒロシが 裕子に 贈った。 裕子に 花束を ヒロシが 贈った。 といったように、「贈った」という述語を中心としてどこまでも語順の並べ方は自由であり、「ヒロシが」という主語の定位置が別に決まってるわけでは
コンテキスト依存型 前回、ご紹介した奥津敬一郎(著)「(ボクハ ウナギダ)の文法」について、今回も少しだけ考察していきたいと思います。 奥津氏のこの著書は1978年に初版が発行されて以降、増版が繰り返され、文法書としては異例のロングセラーとなりました。 「ボクハ ウナギダ 文」という文が定型文のひとつとして呼称されるまでになり、テレビでも「わたしは スバルです」「やっぱり、俺は菊正宗」なんていう「モジリ文」のキャッチコピーを使ったCMが放送されるなどして、ウナギ文がそこら中に出回るようになったんですね。 「ボクハ ウナギダ 文」というのは、どういう文なのかというと、 僕は ウナギ を食べる 僕は ウナギ を釣る 僕は ウナギ だ というように、「食べる」「釣る」という動詞を、助動詞「だ」に置き換えた文になります。 ただ、「だ」型文の成立はあくまでそれまでの会話の流れ、文脈というコンテ
必ずでてくる例外 「日本語学の教科書」と呼ばれる、いわゆる文章教本をいろいろと読み漁っているうちに気づいたことがあります。 それは、日本語の文章論や文法の定義なんていうものを究極の部分まで細かく突き詰めようとしても、明確な正解なんてものを掴むことは、たぶん、できないんだということなんですね。 大まかな論理ではおよそ同じようなことが述べられ統一されてはいるのですが、細部まで突き詰めれば、真逆の説明がなされていることも多いのです。 たとえば、「日本語のセンテンスで一番大切とされるのは述語である」という理論はおよそ統一されているのですが、「同じように主語も大切だ」という意見もあれば、「主語なんてのは、他の補語と同じレベルに過ぎないんだよ、いや、そもそも主語なんて言葉すらもおかしいだろ、それは英文法の話なんだよ」なんていうように書かれている教本もあります。 どちらの理論を信じるのかは自分次第なんで
縦と横で織りなされるセンテンス 日本語のセンテンスは単文と複文に分けられるのですが、述語がひとつの文を単文、二つ以上の述語が組み合わされた文を複文だと捉えて問題はないと思います。 Ⓐヒロシはウワサを聞いた。 という文をひとつの単文だと捉えた場合、 Ⓑヒロシは(裕子が結婚するという)ウワサを聞いた。 という文は「裕子が結婚するというウワサ」という連体修飾節のついた複文ということになります。 Ⓑの複文の中には、Ⓐの「聞いた」で括られた動詞述語文と、 Ⓒ裕子が結婚するというウワサだ。 という名詞述語文が実質的に含まれていることになり、Ⓑの複文は2つの述語文で構成されていることになるわけです。 Ⓐの文が主節文で、Ⓒの文が従属節文です。わかりやすく言うと、Ⓐが本筋で、Ⓒがその補足文ですね。 ただ、この「裕子が結婚するというウワサ」という連体修飾節は、あくまで「ウワサ」の内容だけを詳しくまとめ説明する
「です」と「ます」の2種類しかない ブログを書くとき、文体を統一させるために丁寧形で書くのか、普通形で書くのかを私たちは選択しなければなりません。 いわゆるデス・マス調か、タメ語調か、どちらで書くのかといった違いといってもいいでしょう。 小・中・高の授業では、丁寧形と普通形の交ぜ書きをすることなく文体は統一しなさいと教えられましたし、交ぜ書きされた文章を実際に読んでみると、やはり強く違和感を感じます。 文の締めくくりはもっとも強く意識される部分なので、読み手は敏感に反応することになるんです。 そして、丁寧形(デス・マス調)で書くことを、いざ選んでしまうと、普通形で書くよりも文末がおそろしく単調になることに気づかされてしまうことになります。 なにしろ基本的に丁寧形には「です」と「ます」の2種類しかないんですから。 テンスの表現をときおり交ぜてみせて「でしょう」「でした」「ました」と書いてみた
最後までとどく 少し長めの、伝えたい内容を区切らずに続けて1文にまとめたいとき、「中立法」を使って接続表現するという方法があります。 「あります」というよりも、どこの何に出ている文章を読んでも必ず出てくる表現方法なのですが、極論を言えば「中立法」を使って繋げていけば、どこまでもひとつの文を続けることが出来るんです。 中立法の表現のパターンは2通りあるのですが、ひとつが「~し」形と言われる連用形で表されるタイプで、もうひとつが「~して」と呼ばれる連用形に「て」がついたタイプになります。 「~し形」 話し 走り 続け 読んで あり 「~して形」 話して 走って 続けて 中立法は補語の通過を許します。補語を食い止めないんですね。 Ⓐ裕子に会って、そのことを伝えよう。 「裕子に」の補語「に」は「会って」を通過して「伝えよう」にも係っていき、 裕子に(そのことを)伝えよう。 という意味になるのが日
こんな日本語はありませんよ 戦時下、兵役していたある国語学者が所属部隊の統率方針を読んで、「こんな日本語はありませんよ」と部隊長に直接訴えかけたそうです。 当時としては珍しいエピソードで、その記録は軍部に今も残っているといいます。 部隊に掲げられていた統率方針、そこに書かれていたのは「積極的任務の遂行」という文だったのですが、学者は「これではだめだ、(任務の積極的遂行)とすべきです」と進言したのです。 その才気に感じて、以後、部隊長はその学者に目をかけ、前線送りから除外したため、「命拾いをした」と学者は後に語っているんですね。 〇(任務の積極的遂行)という言い方が正しくて、✖「積極的任務の遂行」という文はなぜ日本語として通用しないのでしょうか。 少しわかりやすくするため、他の例文を用いて解説したいと思います。 たとえば、シューベルトの曲が訳詞の標題にされた✖「美しい水車小屋の娘」というタイ
新たな情報 助詞「ハ」が承ける言葉は、すでに知られている既知のもの、助詞「ガ」が承ける言葉は未知のものであると、国語学者のパイオニア的存在でもある、文学博士の大野晋氏は説かれています。 Ⓐ花は咲いている といえば、すでに「花」は話題に上っていて、「花は(ドウシテイルカトイウト)咲いている」というように「花」をワザワザ取り立て、題目として扱い、「ハ」の下に「咲いている」という説明を加える文とされていることがわかるんです。 そう、極論を言うなら、「ハ」という助詞が出てきたら、それはもうひとつの説明文なんだと認識してもいいのかもしれません。 「ハ」の上の言葉が「問い」であり、「ハ」の下の言葉が「答え」ですね。ですが、 Ⓑ花が咲いている となると、突然そこに花を発見して驚く、あるいは喜び、それを目前の現実として描写した文になるんです。 「花が咲いていること」全体は一瞬にして認識されたのであり、それ
読みにくさの魅力 明治期の近代以降、とくに戦後の現代において、欧文脈というものが日本語の文章に大きく影響を与えることになります。 欧文脈とは、つまり「翻訳調」と言い換えていいと思いますが、それは、あたかも英語などの欧文を翻訳したかのように感じられる文体のことです。 あくまで翻訳っぽく見える文体ですので、背後に本当の欧文がある直訳体ではありません。 その特徴は、文の組み立てや語彙の選択、およびその背後にある発想にあるんですね。 たとえば、翻訳調のわかりやすい例が無生物主語や連体修飾節が多用され表現されている文に多く見ることができます。 それは決して読みやすいわけではないのですが、意味をとろうと強く意識して読むことによって、文意がツルリと逃げていくことなく、鮮やかに印象を残していくのです。 読み応えというか、引っ掛かるような感覚でもって読み手の脳裏に強い印象を刻んでいくんですね。 翻訳調の文が
文字通りの意味なんです 文章表現というのは、究極の「自問自答」であるとよく言われます。 よく誤解されるのですが、これは「自分が書いたこの文章は、これで本当によかったのか、何度も何度も確認してみるべきではないのか。?」といったような、ストイックで哲学的な意味が述べられているのでは決してありません。 「自分自身を見つめ直して、もう一度、問い詰めてみる」という意味の「自問自答」ではないんです。 「桜並木沿いにある、あの豪華な建築住宅はどなたのお宅だったかな?」 「ああ、そうか、あれは企業の保養所だったな」 というように、自分で質問し、自分自身で答えるという、まさに単純そのものと言っていいような、文字通りの意味合いなんです。 まず、その仕組みをひとつの文(センテンス)で確認してみるとするなら、象徴的なのが「は」という助詞が使われる題目文になります。 あの、豪華な建築住宅は、企業の保養所です を言い
「何を言ってるのか わからない」の「何」 文章(テキスト)を「意味的に、1つのまとまりをなす文(センテンス)の連鎖である」と定義付けするなら、まず、そこに必要となってくるのは「結束性」です。 文連続としてつながれた結束的なテキストには、テキスト全体をつなぎ合わせる重要な役割を果たす「主題」が存在します。 テキスト全体には、その主題を含む「主題文」が散りばめられ、次々と話題となる主題を変えていくタイプもあれば、ひとつの主題が最後まで貫かれるタイプもあり、そのときの書き手の思惑によってさまざまなテキスト構成のあり方が提示されることになるんですね。 よく、何について語られたものであるかが上手く伝わらないときに、相手が「何を言ってるのかわからない」「何の話かわからない」などとよく言いますが、この「何」の部分にこそ、話し手が意図とする「談話の主題」が含まれているんです。 おそらく、その「談話の主題」
前提と含意 前回、全体をまとめ上げる役目を果たす文(センテンス)が文章(テキスト)の構成要素のなかに存在することを示し、その最も有効な例として名詞述語文の仕組みを提示しました。 ひとつのセンテンスだけに収まることなく、連文情報をつなぎあわせ、テキスト全体にまで影響を与えることの出来る表現には他にどのようなものがあるのか、今回も紐解いていきたいと思います。 まず、真っ先に思い浮かぶのは、「とりたて助詞」による主張提示の表現です。 「とりたて助詞」とは、それを含む文で述べられている命題内容(前提)と、それに対する話し手の捉え方(含意)を同時に表す、「は」「も」「さえ」「しか」「だけ」といった副助詞のことを示します。 たとえば、 「森本先生しか、味方になってくれなかった。」という文の場合、 Ⓐ『前提』森本先生が味方になってくれた(こと) といった事実(命題)があくまで前提にあって、さらに、 Ⓑ『
「文章」と「文」の違いをはっきりと意識する 「文章」というものを定義づけしようとすると、観点として、「文章」の単位性というものが重視されます。 「『メロスは激怒した。』という(文章)は名文なのだろうか」 「新聞の社説の(文)は読みにくい」 という言い方がよくされますが、これらは厳密には誤りで、 「『メロスは激怒した。』という(文)は名文なのだろうか」 「新聞の社説の(文章)は読みにくい」 と、されなければなりません。 まず、文章(テキスト)とは、ひとつひとつの文(センテンス)の集合体である、ということを自分のなかで明確に区分けづけることが必要になるのです。 そうすれば、次は、自然に文脈の存在というものを強く意識することになります。 文章のなかに複数の文が存在するからといって、それが必ず文章となるわけではありません。 そこに連続性を持つ文脈が存在してこそ、初めて文章として認められるんですね。
吾輩は猫ではある 「吾輩は猫である」という日本人なら誰もが知る有名な作品タイトルがあります。 もしこの作品が「吾輩は猫だ」というタイトルだったとしたら、ここまで国民的知名度を得ることが、果たしてできていたでしょうか。 「吾輩は猫だ」という文は名詞述語文であり、「吾輩は猫である」という文は動詞述語文になります。 「吾輩は猫だ」なんていう強く断定した言い方ではなく、「吾輩は猫ではある」と、「ある」という動詞を用いることで、ぼやかすような表現を用いり、「吾輩」のことなのに主観的にではなく、あえて客観的なニュアンスを醸し出す。 猫を擬人化させるというタイトル表現を、あくまでも自然に成功させている感じがするんですね。 「猫(ではある)」「猫(ではない)」に使われている(ではある)(ではない)というこのふたつの言い方は、日本語で判断を下すときに、肯定否定の典型的な表現方法となっているんです。 なぜなら
パラグラフとトピックセンテンス 文章教本としては、異例のロングセラーとなった木下是雄著「理科系の作文技術」。 物理学者の木下氏が、理科系の若手研究者や学生を対象として、論文、調査報告者といったレポート作成のための最も効果的な表現法を具体的にまとめ上げた一冊となっています。 エッセイや小説とは違って、理科系の仕事の文章というのは、そこに心情的要素を差し込む余地はありません。 実験研究をもとにした事実や状況と、それに伴う、判断や予測といった研究者の意見だけを、ただひたすらに淡々と現実の情報として、わかりやすく読者に伝達することを目的とする文章です。 そこで木下氏は、理科系の文章を書く心得として、「パラグラフ」の概念をもう一度、きちんと取り入れることを改革のひとつとして提唱されています。 パラグラフという言葉を日本語に言い換えるならば、長い文章のなかの一区切り(段落)という意味と同じ概念を持つも
血が通わない言葉 鋭い風刺とあふれるユーモア、言葉の魔術師と呼ばれた日本の小説家、井上ひさし氏。 「言葉を作ったのは人間なのだから言葉は楽しく使うべきである」という持論をもとに、戯曲、小説だけでなく、数多くの文章読本、文章入門書の書き下ろしを遺されています。 そして、その遺された数多くの文章読本で、井上氏が必ず取り上げているのが「複合動詞の重要性」についての指摘なんですね。 たとえば、井上氏は「自家製 文章読本」のなかで下記のように述べられています。 「とりわけ日本語の動詞は、そのままで単独で用いると、意味を訴える力が弱いのである。単独で用いたのでは意味が漠然としている。具体性に欠ける。現実と激しく斬り結ぼうとしない。生き生きしない。血が通わない。」 「その大きな原因は、日本語の構文では動詞がいちばん最後に来るせいである。構文全体で意味を拡げるだけ拡げてゆく、あるいは意味をつぎつぎに限定し
おしゃべりを字で書こう 書店にズラリと並べられている文章入門書。手に取り、パラパラとめくってみると、全容はさまざまなのでしょうが、どの入門書にも申し合わせたように、巻頭の部分あたりで「ある教え」についてページが割かれています。 【話すように書け】 文章入門書だけでなく、文豪から著名作家まで、口を揃えてこの教えを金科玉条にしているようなのですが、どうもこれは、明治期からの言文一致運動という篤い信仰からきている流れのようなんですね。 この国の言語改革のなかで唯一の成功例である言文一致体。それは、この運動の中心的担い手であった明治期の文学者たちの憧れでもあったんです。 作家の水上勉氏が遺した、文豪たちのエピソードの紹介によると、あの林芙美子が本郷菊坂ホテルに宇野浩二を訪ねて小説の書き方について質問したとき、「当人のしゃべるように書くんですよ」と宇野が答えたと書き記されています。 さらに水上氏は、
文章を読ませる推進力 たとえば、ブログなどに記事を書くとします。どうせ書くのなら、その時に、どうすれば、読者をその記事に没頭させることが出来るか。どう書けば、読者を、読んでいるうちにその文章に引きずり込ませてしまうことが出来るようになるのでしょうか。 日本語学者の石黒圭氏は、それは、「情報の空白」を自在に操るように文章を展開させることで可能になるのだと論理提示されています。 まず、世に出ている文章というのは大きく分けてふたつに分かれます。 ひとつは、新聞記事や小説などに用いられている描写文と呼ばれるもので、これは「時間」を推進力として、ある「場面」のなかで起こる一連の動きが描写されていきます。 「それで?」「それから?」といった問で後続文脈に来る内容を探りつつ読み手は文章を理解していくんですね。 そしてもうひとつが、「場面」という制約がなく、時間軸が存在しないエッセイや論説文の場合で、今回
月の色をもらって 京都市・桂川に架かる桂大橋。車を走らせ、その西岸から東を望むと、ときに、見事な満月に出会える夜があります。 そして、すぐ左にたたずむのが、宮内庁の管理する、あの「桂離宮」です。 こうして見ると、満月を遠望できる絶好のロケーションに導かれるかのように、離宮が建てられたことがよくわかります。 昭和初期に、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトが、その建築群を「日本美の粋」と絶賛したことで、世界的に知られることとなりました。 桂離宮はもともと八条宮家の別荘で、智仁(としひと)、智忠(としただ)親王の父子2代にわたって造営されています。 造営が始められたのは1620(元和6)年のことで、そこから、約50年もの歳月をかけて完成されているんですね。 その美観のための建築は徹底的にこだわりぬかれ、二度も増築が加えられて、後に、庭と建築の総合芸術と称されることになります。 中央に心字池があり、そ
風雨にさらされた黄金 戦前の旧国宝・重要美術品の再指定が行われたのは昭和25年のことでした。 いわゆる文化保護法が施行されて、それまでに指定されていた真偽が見直され、大幅に件数が減らされることになります。 そんな状況下でも、当然のごとく金閣は新国宝に指定されました。ところが、その直後に、放火により焼失してしまったのです。 だから金閣という建物は現時点で国宝ではないのですが、訪れる観光客の人たちに聞いてみても、燃えたことさえ知らない人のほうが、おそらく多いのではないでしょうか。 焼失から5年の歳月をかけて再建された金閣は、その後何度か補修され、昭和61年の大補修では当時7億円の資金が投入されています。 使用された金箔は20万枚で20キロ、昭和30年の最初の再建時よりも、約10倍規模でもって補修されているんです。 金のイメージ、それは成金的というか、どうしても経済価値の誇示の要素が全面的に出て
常に例外がつきまとう法則 日本語の文法というのは本当に不思議なモノで、辞書のレベルでは決定しきらない例外が、それこそたくさん出てきます。 たとえば、次に出てくる文のような、動詞の格支配の例を見てみてください。 A)鯛を刺身に作る。 ?鯛を作る。 B)一人娘を嫁に取る。 ?一人娘を取る。 このA、B文では「作る」と「取る」という動詞が格体制をとっていますが、いずれも「鯛ヲ」「一人娘ヲ」というヲ格との結びつきは、間接的なものとなっているんですね。 「刺身二」「嫁二」という、二格と動詞が先に結びつき、その全体に対してヲ格が結びついているのだと、例文が掲載されている文法書には書かれています。 「鯛を【刺身に作る】」・「一人娘を【嫁に取る】」というように、ヲ格の存在はあくまでも二格の存在が前提されているということなんです。 本当にそうなのでしょうか? 本来、日本語の動詞文は述語を中心として構成
政教分離 794年に、国家権力の中枢として人為的につくり出された平安京。それは、政治的な意味を強く帯びた新政都市でした。 このとき同じタイミングで平安京に創建された東寺・西寺も、国家鎮護の目的だけで建てられたわけではなく、唯一この国で、公式に創り出され、認可されていた寺院だったのです。 それまでの奈良・平城京の社会では、多くの政治的矛盾をはらみ、政争と内乱を繰り返していたので、大仏開眼など仏教的霊験に頼らざるを得ない状況下に陥っていました。 そのために、玄昉・道鏡といった僧侶による政治的介入を許してしまうことになり、皇室の継承問題にまで関与させてしまうことになってしまうのです。 再び同じ過ちを繰り返さぬように、遷都を機に、桓武天皇は仏教界の政治的進出を許さず、徹底的に排除する方策を取っているんですね。 788年に根本中堂がすでに建てられていた比叡山・延暦寺ですらも、延暦の寺号を許されたのは
公武和合の舞台 大坂夏の陣、冬の陣が始まる少し前の1603年頃に、幕府本営・二条城は完成しました。 徳川家が上洛する際の宿所として造営されたこの城郭から、家康は戦場へと出陣しているんですね。 その後、1626年に三代将軍・家光が後水尾天皇を迎えるために二条城の大改修を行います。 つまり、寛永行幸ですが、家光は二条城へ天皇を招き入れ、公武和合の政策を天下に示したのです。 ところが、幕府が巨額の費用を注ぎ新装した二条城は、それから200年以上、たった一度も使われることはありませんでした。 4、50人の二条在番という留守番たちが暇をもて遊ぶ平和な日々が、ただ流れていたんですね。 幕末に徳川慶喜が来て、並ぶ大名たちを前に、その大広間で大政奉還を奏上する歴史的ステージとなるまでの長い間、まるっきり放置されていたのです。 そして、そのすぐ後に、明治維新を経て二条城は朝廷のものとなってしまいました。 二
事態はひとつの時間軸のなかで 今回は、複文の表現形式のひとつである「連用修飾節」の仕組みを紐解いていきたいと思います。 先行する連用修飾節には、それこそ様々な接続方法による表現形式があるのですが、基本的には、後行する文末の述語(用言)に向かって文意を繋げる役割を果たします。 よく使用される連用修飾節のひとつのタイプとして、「~たら」「~けれども」などの条件を示すもの、「~ので」「~ために」などの原因・理由を示すもの、といった論理的因果関係の接続助詞を語尾につけて主節につなげていく形があります。 宝くじが当たったら、家を買いたい。(順接条件節) いくら薬を飲んでも、いっこうに熱が下がらないのです。(逆接条件節) 風邪を引いたので、学校を休みます。(原因・理由節) このように、連用修飾節(従属節)と主節は因果関係をもって論理的に結びつけられているんですね。 連用修飾節で構成された複文の場合、主
内の関係と外の関係 前回に引き続き、今回も連体修飾節を使った文章表現にこだわりながら、その本質を分析していきたいと思います。 たとえば、指にルビーの指輪をつけた(女優)という文を例にすると、名詞(女優)を詳しく説明・限定し、修飾しているのが(指にルビーの指輪をつけた)という連体修飾節と呼ばれる成分になります。 このような連体修飾節を使った表現方法には、じつは、二つの意味合いを持つ種類があるんですね。 A)さんまを焼く(シェフ)がいる。 B)さんまを焼く(匂い)がする。 「さんまを焼く」という連体修飾節がAでは(シェフ)を、Bでは(匂い)という名詞を修飾しています。 「さんまを焼く」という修飾節は表面上では全く同じ役割を果たしているように見えますが、そこに含まれた意味合いは大きく異なるのです。 Aの文は、シェフがさんまを焼く。という文と対応させることが出来ます。 名詞「シェフ」は、連体修飾節
長文を自由自在に 日本語における「複文」、つまり複雑な「文」というのは、いったいどのような構成で作られているのでしょうか。 一般に実用文では1文平均50文字が理想的な文字数だと言われてますので、1文100字を越すような「複文」になると、頭から読み下してそのまま理解することが若干難しくなってくるようです。 だから「文は短く、短くと心掛けて書くべきだ」と、どの作文入門書にも書かれているわけですが、やはり、字数にこだわることなく長文を自由自在に操って読み手に文意が通じるように書けるようになりたいものです。 では、どうすればいいのか。その答えはただひとつ。これは、「複文」として組み立てられているパターンにはどのようなものがあり、それぞれどの様な特質を持って表現されているのか、ということをまず徹底的に分析・比較するしかないんですね。 日本語の「複文」は「従属節」と「主節」で組み合わされていて、従属節
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『こうへいブログ 京都案内と文章研究について 』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く