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後円融天皇 息子の検索結果1 - 3 件 / 3件

  • 相国寺  天を支配しようとした将軍 足利義満 - 京都案内  こうへいブログ

    カオス 足利尊氏によって室町幕府は開設されましたが、二代目の義詮(よしあきら)の段階までは、足利家が全国を統一したとはとても言えない状況でした。 そう、国家の最高権威である朝廷が北朝と南朝に真っ二つに分かれているという事態はまだ克服されていなかったのです。 この内紛に対して、政治家として、尊氏や義詮にはそれを解決できる力量を持ち合わせていませんでした。 これは、なにも尊氏や義詮が無能だったからということではなく、国家レベルの内紛であるがために、並の人間では簡単に治められる問題ではないからです。 ところが、これらを一気に解決へと導いたのが、怪物政治家と呼ばれた三代将軍・足利義満でした。 室町幕府史上もっとも巨大な権力を築いた義満。 でも現状に満足していなかったこの将軍は、なんと、天皇家の王朝を廃し、足利氏の王朝を創ろうとしたのです。 モニュメント 明徳3(1392)年、後小松天皇の勅命によっ

      相国寺  天を支配しようとした将軍 足利義満 - 京都案内  こうへいブログ  
    • 12月30日 足利義満 第3代 室町将軍になる - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

      12月30日は、 室町時代の1368年に 足利義満が第3代将軍になった日です。 (室町幕府3代将軍・足利義満) 足利義満は、初代室町将軍の足利尊氏の孫で、二代将軍足利義詮の次男です。 この足利義満は、金閣寺を建てた人、日明貿易で財をなした人、南北朝の統一を果たした人、そして花の御所と呼ばれる大邸宅を作り室町幕府が一番力があった時代の将軍として歴史の授業で習います。 足利義満は、世の中が安定せず戦乱に明け暮れた足利尊氏や父・足利義詮とは違い 京都で生まれ、京都で過ごします。 そして1368年12月30日に征夷大将軍に任命され、室町幕府の3代将軍に なります。 足利義満は、 15代続いた足利将軍の中で1番栄華を誇った将軍で、 もしその野望が実現したのなら史上初の 将軍と天皇、双方の父親となり、 史上最高権力者になっていたかも しれない人です。 上に足利15代将軍を列挙しましたが、調べてみると足

        12月30日 足利義満 第3代 室町将軍になる - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
      • 次のAmazonレビューを確認してください: 日本のいちばん醜い日

        本書は589ページもある分厚い本なので読むのに疲れるが、天皇主義者及び反天皇制論者ともに、全員必読の良書です。 鬼塚氏は、「秩父宮」が2・26事件の策を練り、終戦時の皇居内で発生した近衛連隊による玉音版強奪計画(8・15宮城事件)は「三笠宮」が策を練り、どちらも巧妙な偽装クーデターだと断言している、大胆な推理が本書の前半部分の内容です。 そして本書全体を通して、日本国家の真相は、明治維新でユダヤ国際金融権力をバックにした長州藩の田布施一味(朝鮮人部落)に国家を乗っ取られたということであることが解る。 長州藩の田布施一味とは山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。 熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。 大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。 むろん、岸信介、佐藤栄

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