『大坂夏の陣図屏風』に描かれた乱取り 藤木久志著『飢餓と戦争の戦国を行く』の冒頭に「七度の餓死に遇うとも、一度の戦いに遇うな」ということわざが紹介されている。相次ぐ飢饉も餓死者が大量に出て大変なものだが、一度の戦争に遇うと、七度の飢餓に遇うよりも悲惨であるという意味である。前回の記事にも書いたが、戦場になると耕地が刈り取られ、家々は放火され、食糧や財物だけでなく家族までもが奪われていったのだからたまらない。 上の画像は大阪城天守閣に保管されている『大坂夏の陣図屏風』の左半分の一部だが、乱妨取りに奔った徳川方の雑兵達が、大坂城下の民衆に襲い掛かっている様子が克明に描かれている。 偽首を取ろうとする者や、略奪をする者、女性や子供を捕まえる者などいろんな場面が描かれているのだが、この乱取りについてイエズス会の宣教師が記した報告書の一節が徳富蘇峰の『近世日本国民史. 第12 家康時代 中巻 大阪役