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政治家 町田忠治の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • 昭和農業恐慌 | 大正・昭和10000日の追憶

    小作制度と貧農 明治時代となり江戸時代の封建的な制度が次々と改廃されていった。 そんな中、農村においては江戸時代以前から続く小作制度が継続し、半封建的な支配関係が続いていた。 小作制度とは、農民が土地の所有者である地主から農地を借りて耕作する代わりに、年貢として小作料を収めたり、小作料の代わりに農奴のように働いたりする制度である。 小作制度が継続されただけでなく、明治政府は地租改正によって農民の負担を重くした。 その為、土地を手放して小作人に零落する農民が続出し、全耕地の約4割が小作地となり、地主制が確立された。 小作制度の問題点はその小作人の地主への従属関係を築いたところにある。 小作農はあくまで地主と小作人の契約であり、法律上は両者は対等な関係にある。 しかし、労働者であれば条件が合わなければ職場も住む場所すら変えられるが、小作人はその労働が土地に縛られる為に、どうしても特定の地主との

    • 総理大臣を三名も輩出した戦前の報知新聞社の本を読む~~『大隈侯昔日譚』、『満州開拓戦士』

      戦前の報知新聞社は人材の宝庫であった 「報知新聞社」は『スポーツ報知』を発行している新聞社だが、かつての『報知新聞』は多くの読者の支持を得た有力紙で、この新聞社から内閣総理大臣が三名(大隈重信、原敬、犬養毅)も出ているということは知らなかった。 昨年9月4日のスポーツ報知の記事によると、現在の菅義偉総理大臣も法大第二部法学部政治学科在学時に報知新聞社でアルバイトをしていたらしく、菅氏も加えれば、この新聞社から四人の総理が出たということも言えるのだが、同社がスポーツ紙専門になって以降のバイト学生は他の三人とは格が違いすぎる。それにしても、民間企業の出身者からこれだけ多くの総理大臣を輩出したような会社が外にあるとは思えない。 報知新聞社の創業は結構古く、明治五年(1872年)に前島密、小西義敬らが創刊した「郵便報知新聞」からスタートし、翌年に「報知社」が設立されている。草創期は民権運動家が編集

        総理大臣を三名も輩出した戦前の報知新聞社の本を読む~~『大隈侯昔日譚』、『満州開拓戦士』
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