慈悲の人 明恵 京都・栂尾(とがのお)にある世界遺産のひとつ高山寺。鎌倉時代、ここに明恵(みょうえ)という高僧がいました。 一般的にはほとんどその名は知られていないのですが、大学受験には頻繁に出題されるため、高校の教科書などには掲載されています。 どちらかというと、「鎌倉新仏教に対して異を唱えた僧」という好戦的な荒法師のイメージで語られていることが多く、どれもこれも、彼の真の姿が説明されているとは思えない内容になっています。 鎌倉新仏教とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の時代に、比叡山延暦寺から巣立った、法然、親鸞、道元、日蓮といった人物が日本仏教界に変革を起こし、新たな新仏教の開祖となることで生み出された仏教宗派のことをいいます。いわゆる浄土宗や日蓮宗、禅宗などですね。 それに対して、華厳宗の明恵や法相宗の貞慶などの旧南都仏教方が、戒律を尊重して異を唱えたとされているのですが、明恵たちは