『国立国会図書館デジタルコレクション』で、昭和十六年(1941年)に出版された宮武外骨著『府藩県制史』という本がネット公開されている。この本には非常に興味深いことが書かれている。 賞罰的県名 順逆表示の史実 トコトンヤレの勇士を出した忠勤藩 錦の御旗に刃向かった朝敵藩 洞ヶ峠の日和見であった曖昧藩 葵の紋がついた親類筋の拱手藩 昨冬『府藩県制史』編纂の資料整理中、図らずも天来的の痛快事に接した。イヤ痛快事と言うよりも、明治史上には逸すべからざる順逆表示の史実、永久不滅の賞罰的県名と見るべきことを知りえたのである。それは廃藩置県後たる明治四年十月より五年六月までの間に改置した県名は、忠勤藩と朝敵藩とを区別するため、忠勤藩即ち皇政復古に勲功のあった大藩地方の県名には藩名をつけ、朝敵藩すなわち錦の御旗に刃向かった大藩、および早く帰順を表せず、日和見の曖昧な態度であった大藩地方の県名には藩名をつけ