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若松勉 インタビューの検索結果1 - 4 件 / 4件

  • 栗山英樹・29歳の早すぎる現役引退、テスト入団の国立大生が日本代表監督になれた理由【逆転野球人生】 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE

    逆転野球人生 栗山英樹・29歳の早すぎる現役引退、テスト入団の国立大生が日本代表監督になれた理由【逆転野球人生】 誰もが順風満帆な野球人生を歩んでいくわけではない。目に見えない壁に阻まれながら、表舞台に出ることなく消えていく。しかし、一瞬のチャンスを逃さずにスポットライトを浴びる選手もいる。華麗なる逆転野球人生。運命が劇的に変わった男たちを中溝康隆氏がつづっていく。 注目度が高い“異色のプロ野球選手” 「キミはいいセンスをしている。もう少しがんばればプロでもやれるぞ」 『プロ野球ニュース』のキャスター佐々木信也氏は、息子が出る大学の練習試合を観戦に行った際、対戦相手で3本のヒットを打った若者に、そう声を掛けたという。その選手こそ、東京学芸大の栗山英樹である。 投手としては4年間で25勝8敗、投げないときは野手として打率.395をマーク。身長174センチ、体重72キロの小柄な体型だったが、5

      栗山英樹・29歳の早すぎる現役引退、テスト入団の国立大生が日本代表監督になれた理由【逆転野球人生】 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE
    • 「お前なんか他の球団に行ったら…」広岡達朗はなぜ若松勉に厳しく接したのか? “ミスタースワローズ”を発奮させた「缶ビール事件」の真相(長谷川晶一)

      45年前、ヤクルトスワローズを球団初の日本一に導いた指揮官・広岡達朗は、優勝未経験のチームをどのように変革し、選手たちの心に何を残したのか。ノンフィクションライター・長谷川晶一によるNumber Webの新連載『「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズ』では、厳格や冷徹といったイメージの向こうにある「人間・広岡達朗」の実像に迫っていく。 連載第1回目は、チームリーダーとして初優勝の原動力となった“ミスタースワローズ”若松勉にロングインタビューを行った。(若松勉編の#1/#2、#3、#4へ)※文中敬称略、名称や肩書きなどは当時 「缶ビール事件」による広岡達朗への反発 1977年、シーズン中のことである。就任2年目となる広岡達朗監督と、当時30歳で脂の乗り切っていた時期にある若松勉との間で、後に「缶ビール事件」と称される出来事が起こった。遠征のための移動中、選手たちを乗せたバスがサービ

        「お前なんか他の球団に行ったら…」広岡達朗はなぜ若松勉に厳しく接したのか? “ミスタースワローズ”を発奮させた「缶ビール事件」の真相(長谷川晶一)
      • 「監督はなぜこんな仕打ちを…」“広岡達朗に干されたエース”松岡弘がいま明かす1978年の葛藤「プライドが踏みにじられた気分でした」(長谷川晶一)

        45年前、ヤクルトスワローズを球団初の日本一に導いた指揮官・広岡達朗は、優勝未経験のチームをどのように変革し、選手たちの心に何を残したのか。連載初回の「若松勉編」に続き、第2回では1978年の胴上げ投手・松岡弘にロングインタビューを実施。同年の沢村賞にも輝いた男は、ペナントレースのさなか、広岡の“指令”によって言いようのない困惑を味わっていた。厳格な監督とヤクルトが誇る大エースの、複雑な関係性に迫った。(松岡弘編の#1/#2、#3、#4へ)※文中敬称略、名称や肩書きなどは当時 「オレには信頼がない」開幕戦で突きつけられた現実 「やっぱり、オレには信頼がないんだな……」 1978年4月1日、ペナントレース開幕戦に勝利し、歓喜にわくヤクルトスワローズナインの中で、松岡弘はそう感じていた。この日、プロ7年目にして初となる開幕戦を託されたのは安田猛だった。初めての大役を任された安田は、広島東洋カー

          「監督はなぜこんな仕打ちを…」“広岡達朗に干されたエース”松岡弘がいま明かす1978年の葛藤「プライドが踏みにじられた気分でした」(長谷川晶一)
        • 愛し愛された野球人。ノムさん、ありがとう【野村克也氏追悼コラム】 | BASEBALL KING

          まるで夢のようだった「代打・野村克也」 断続的な雨が降り続く中、僕らは夢を見ていたのではないか? 今でもそんな気がしてならない。野村克也氏の訃報を聞いて、真っ先に頭に浮かんだのが「代打・野村克也」のワンシーンだった。昨年7月11日、ヤクルト球団50周年を記念して行われた「スワローズドリームゲーム」において、一塁側「GOLDEN 90s」を率いたのは背番号《73》をつけたノムさんだった。 この日のメインイベントは4回裏に訪れた。ウグイス嬢による「バッター・野村克也」のコールが雨に煙る神宮球場に響き渡った。この瞬間、まったく予期せぬ出来事に場内はどよめき、応援団を中心に「ホームラン、ホームラン、野村!」の声援が沸き起こる。現役時代を南海、ロッテ、西武とパ・リーグひと筋で過ごしたノムさんは、セ・リーグの選手として、ヤクルトのプレイヤーとして打席に入ったことはない。そのノムさんが一塁ベンチから右打

            愛し愛された野球人。ノムさん、ありがとう【野村克也氏追悼コラム】 | BASEBALL KING
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