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都合上 言い換えの検索結果1 - 6 件 / 6件

  • 男の下半身、前から見るか?後ろから見るか? - 本しゃぶり

    「生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、一体何者ですか」 巨漢と対峙したダビデは、ハートの目でこう言った。 聖書の時代より、男の下半身の「前」に注目するのは男性である。 Benjamín Núñez González CC BY-SA 4.0, Link 一方、女性が注目するのは下半身の「後」、すなわち「尻」である。 なぜ男女で男性の下半身に対する着目点が真逆なのか、その理由を生物学的観点から探っていく。 巨乳と対になるもの 前回「巨乳美少女と対になるのは巨根男性ではなく、心が通じる有能なイケメンである」と書いた。 これに対する反応を見ると賛成が多かった一方で*1、「巨乳の対として巨根を出すのは間違いではない」とする反対意見も数あった。 そういった反対意見を読んだ上でも、俺の意見は変わらない。女性が身体のパーツに注目されることを忌避するのは、今回の件も含めてよく見かける。

      男の下半身、前から見るか?後ろから見るか? - 本しゃぶり
    • アニメーション的な誤配としての多重見当識― 非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察[PDF]

      対人性愛中心主義、性別二元論、 〈字義どおり化〉という幻想、ポルノグラフィ、パフォーマンス /アニメーション Ⅰ.背景と目的 マンガやアニメなど、いわゆる 「二次元」 の性的表現を愛好する営みについては、こ れまで 「オタク」 や 「マンガ読者」 や 「ファ ン」として研究されてきた。これに対して 近年では、 「二次元の性的表現を愛好しつ つ、生身の人間への性的惹かれを経験しな い」人々や「二次元」キャラクターのみに 性的に惹かれる人々について、セクシュア リティの観点からの議論がなされている。 こうした人々はアセクシュアルの人々と似 た仕方で周縁化される場合があり(松浦 2021a) 、またアセクシュアルをめぐる近年 の問題提起と同じく、セクシュアリティを めぐる従来の認識枠組みを問い直す視座を アニメーション的な誤配としての多重見当識 ― 非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに

      • 平沢進の音楽世界観を多角的に紐解く - Music Synopsis

        ※当記事は文字数が9万字以上ある記事になります。 そのため、時間がある時に閲覧すること、また字数の関係上スマートフォンでの閲覧よりもパソコンやタブレット端末での閲覧を併せて強く推奨します。 ・はじめに これまで久石譲・菅野よう子といったメジャーでありながら知名度も抜群であり多大なフォロワーがいる、いってみれば名実ともに全員が納得できる偉大な大家について書きました。つまり大衆が愛すべき作曲家に焦点を当てました。しかし今回はすこし捻った特集を組みました。 マイナーだけど何故かメジャーアーティストとして有名という音楽版の諸星大二郎とでも形容すべき人物、つまりは平沢進です。まず音楽版の諸星大二郎とはどういう意味なのか、という点についてです。 同業者からは絶大な支持があるもののより広域的な範囲では知られていないという存在を形容するものとして「ミュージシャンズ・ミュージシャン」という単語があります。

          平沢進の音楽世界観を多角的に紐解く - Music Synopsis
        • 責任と欲望を生み出すために──國分功一郎×東浩紀「哲学にとって愚かさとはなにか」イベントレポート(標準語ver.)

          旧知の思想家からの批判に、闘う哲学者はどう応答するのか――。 東浩紀は、今年9月に刊行した『ゲンロン11』の巻頭論文「悪の愚かさについて2、あるいは原発事故と中動態の記憶」で、國分功一郎の議論を重要な参照項としている。しかし、そこには國分に対する批判も多分に含まれる。 同論文を読んだ國分からの申し出によって実現した三年ぶりの対談は、どのように展開したのか。イベントレポートをお届けする。 なお、東の論文についての議論をひととおり終えたのちに交わされたイベント後半の対話については、関西弁ver.として別のレポートが執筆された。そちらもぜひお読みいただきたい。(ゲンロン編集部) 帰責性と責任 イベントは國分による応答プレゼンをもとに進行した。結論から述べると、意外にも國分と東の問題意識はかなり近いということが明らかになり、意外なほど生産的な議論が交わされることとなった。その一部を紹介したい。 「

            責任と欲望を生み出すために──國分功一郎×東浩紀「哲学にとって愚かさとはなにか」イベントレポート(標準語ver.)
          • 原稿の墓場。超長文。小学校英語論争 - こにしき(言葉・日本社会・教育)

            第NNN章 導入の是非――小学校英語論争 第1節 小学校英語論争の分析 論争全体像の理解 論争の構造への注目 第2節 賛成論 賛①「英語力を育成すべし」 賛②・賛③「国際化に対応すべく、異文化理解・会話への積極性を育成すべし」 賛④「会話への積極性を育成すべし」 賛⑤ 英語学習への肯定的態度の育成 賛⑥ 機会均等のために導入すべし 第3節 反対論「効果がない」 「効き目がない」 英語力育成は期待できるのか 経験者・非経験者を比較した実証研究 実証研究による英語熱の冷却 教育条件 論争の空白地帯である「診断」 グローバル化 日本人のメンタリティ 機会均等 「コミュニケーション能力が低い」 効能をめぐる論争 「効果がない型反対論」のまとめ 第4節 反対論「副作用が大きい」型 害①・害② 英語力・英語学習への悪影響 反対論に対する応答 2つの反反論に関する考察 害③・害④・害⑤ 日本語力や学力な

              原稿の墓場。超長文。小学校英語論争 - こにしき(言葉・日本社会・教育)
            • アオマツブログ

              遅くなってすみません。僕が選評を書くのが遅かったせいで遅れてしまいました。アットマーク以下は各応募者のTwitterアカウントです。 【最優秀賞】 神様が帰ったあとのガラス戸が少し開いてる、甘いんだよな (須藤摂 @_sudO_Osamu_) この一首が、今回応募された作品のなかでもっとも印象に残った。得体のしれない青春性を感じた、といえばいいだろうか。 友達と遊んだあとのような作中主体のテンションと、じっさい書かれている「神様が自分のところに来て、帰っていった」という奇妙な場面設定のあいだのズレが、「甘いんだよな」という口調のもつ雰囲気を最大限に引き出している。「ガラス戸」という道具立ても、古い民家のような湿ったイメージをどこか喚起する。 「神様」が来て、帰ったあとも平静を保っているように見える主体。にもかかわらず、その態度にはどこかセクシーなニュアンスさえ含まれている。主体と「神様」は

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