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錯乱状態 英語の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • カルト教団で過ごした10年|東大中退したアライさん

    長いあいだ、私はある新興宗教団体の熱心な2世信者でした。 小学校を不登校になったのがきっかけで教団にのめり込んだのが10歳のとき、教団施設での長年にわたる生活を経て脱会をしたのが19歳のときですから、足掛け10年、思春期のほぼ全期間を私はその団体の内部で過ごしたことになります。 そのあいだ、外の世界で働くこともなければネットで外部の人と知り合うこともなく、世俗の中学・高校に通うこともなければ塾や予備校に行くようなこともありませんでした。 すべての人間関係は教団内で完結していて、だから教団が教える世界観以外の物の見方など知る由もなかったし、もちろん教祖や教義に疑いを抱くこともありませんでした。 このnoteは、そんな熱烈2世だった私が見てきた教団の内情とそこで遭遇した様々な出来事、そして私自身が信仰に目覚めてから脱会するまでの経緯をまとめたものです。 (約18,000字。読むのにかかる時間:

      カルト教団で過ごした10年|東大中退したアライさん
    • 河野三男「タイポグラフィの領域:補遺」 | ÉKRITS / エクリ

      はじめに 本稿は、拙著『タイポグラフィの領域※1』(以下、『領域』)について、その結論部を補足する試みである。 『領域』を執筆した動機は、タイポグラフィという言葉の定義化の必要を痛感したからである。まずこの国では、本来の意味と齟齬をきたす使われ方がなされていると見えたからであり、次に本質的な概念の抽出が、その語を口にする者にとっては必要だろうと考えたことにある。そのためには時代の技術変化に支配される環境下においても一定不変である概念を引き出す努力が不可欠であり、その定義化という作業では歴史を遡らざるを得ないことから、可能な限りの広い渉猟と慎重さが要求される。それに応えられたかはかなり心もとないが、幸運にも発表の機会を得て、ここに四半世紀を迎えようとしている。 『領域』の結論では、「タイポグラフィとは活字書体による言葉の再現・描写である」と示し※2、定義の一例として提案した。 タイポグラフィ

        河野三男「タイポグラフィの領域:補遺」 | ÉKRITS / エクリ
      • 「小泉純一郎」報道されない正体。婦女暴行で逮捕歴、朝鮮人で精神病 日本問題⑦ - hikari369のブログ

        平成13年4月~18年9月まで内閣総理大臣を務めた「小泉純一郎」。 実は、彼には、絶対に国民に知られてはいけない事実が数多くありました。 「朝鮮人の血」 「婦女暴行事件」での逮捕歴 「精神病」(統合失調症)で強制入院 「新橋芸者殺害」疑惑 「小泉純一郎」と検索すると「朝鮮人」とか「婦女暴行」「やくざ」とか、、、物騒な言葉が多くでてきます 。 いかに、この人物が何わしい存在なのかが見て取れるわけです。日本を壊したと言われる小泉改革を進めたこの人物。日本人でもない彼はの本性は最低なクズ人間でした。 では、「小泉純一郎」の正体、本性を出生からみていきましょう。 父親の小泉純也は本名:鮫島純也で朝鮮部落で生まれた朝鮮人 父親の小泉純也は、本名:朴純也⇒鮫島純也です。鹿児島県の加世田と言う朝鮮部落で生まれました。その部落は明治維新まで朝鮮語を使っていたといい通婚もありえないので生粋の朝鮮人だと言われ

          「小泉純一郎」報道されない正体。婦女暴行で逮捕歴、朝鮮人で精神病 日本問題⑦ - hikari369のブログ
        • 芥川龍之介全集ノート - 手探り、手作り🐇

          芥川龍之介全集 昭和2年 岩波書店 春に読み始める。 昔かなりの安値で見つけて購入して積読になってゐたのをわけもなくちょっと読んでみるかと思ったらしい。人間暇だと妙なことを考える。 全集は全七巻と別巻一冊。小説作品を収めた一巻から四巻まで頭から順番に読んでいった。五、六巻は小品、論文、紀行文、翻訳、詩、俳句など。七巻は未定稿と書簡を収め、別巻は日記が中心。 五巻以降は通読する必要もないと思うし、年末にちょうど四巻を読み終えたので、ノートはとりあえずここで終了とする。 ただ五巻から先も遺稿「西方の人」とか紀行文「支那游記」とか読んでみたいものがいくらかあるので、来年ぜひ読みたい。 芥川龍之介 1892年(明治25年) 東京市京橋区入船町に生まれる。 1913年(大正2年)  東京帝国大学文科大学英文学科へ入学。 1915年(大正4年)  代表作「羅生門」を「帝国文学」に発表。 1916年(大

            芥川龍之介全集ノート - 手探り、手作り🐇
          • いつしかついて来た犬と浜辺にいる

            事件の発覚 戦後混乱期の只中、1948年(昭和23年)1月12日、臨時警戒中だった早稲田署の警官2人が新宿区榎木町15番地付近で自転車の荷台に妙に嵩張る木箱を4つも抱えた男を見とがめて職務質問した。男は長崎竜太郎を名乗る葬儀屋で、不審に思って木箱の中味を検めてみたところ5体の赤ん坊の死体が見つかった。 問いただすと男は新宿区柳町にある「寿(ことぶき)産院」に頼まれたもので火葬場に運ぶ最中だと言い、正規の埋葬許可証も持っていた。署まで連行して詳しい話を聞くと、赤ん坊一体で500円、これまで30件以上同じような依頼を受けたことを認めた。いかに母子とも命がけの出産の現場であれ、それだけ赤ん坊が立て続けに亡くなるというのは異常事態ではないか。 早稲田署が国立第一病院で5嬰児の遺体の状況を診てもらうと、うち3人が肺炎および栄養失調によるもの、残る2人の死因は凍死であった。慶応病院へと運び詳しい解剖を

              いつしかついて来た犬と浜辺にいる
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