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長男教 娘の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • ツイフェミ騎士・シュナムルさんの正体?|むい

    居候の義姉に苦しめられる奥様の書き込み今年の5月10日、おーぷん2ちゃんねるの生活板「スレを立てるまでに至らない愚痴・悩み・相談part146」にこんな書き込みがあった。 1400: ↓名無し:22/05/10(火) 03:52:02 ID:yr.vp.L1 同居中の義姉がGW明けに出て行く予定になっていた。 しかしGWを過ぎても荷物はまだ纏めている気配が全然無い。 もっとも個人の荷物なんてたかが知れてるから、私と旦那二人がかりでやれば2、3時間程度で終わると思うけど。 このままなし崩し的に居座れば何とかなりそう、などと考えていそうなのが腹が立つ。 義姉は現役時代、旧帝大志望だったが惜しくも不合格、一年浪人して再チャレンジしたがまたもや駄目。 「一浪してまでMARCHは嫌!」だと、デザイン系の専門学校にいったが人間関係のトラブルとやらで中退してしまったという。 そんな折、弟である旦那が、義

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    • 娘は「欠陥品」で不満だらけの母親のいけにえになれ! - 昭和ネコ令和を歩く

      「長男教」という言葉があります。 長男は跡取りだから下駄をはかせても優遇する、前時代的な「跡取り」という考え方からくる兄弟差別です。 長男教の被害者は娘や次男以下の子どもだけでなく、そういう思想背景で育てられた「長男」に限って、嫁の成り手が無かったり、結婚できても失敗したりするケースが多いようです。 今回は結婚の時に父親に言われた娘sage(サゲ)の文言を記事にいたします。 関連記事です。 mishablnc.hateblo.jp 実母が暴言八つ当たりタイプの毒親であるというのは書いたことがあります。 母親の私に対する「仇の子」に対するかのような物の言い方に対して、父親のほうはめったに声を荒げるタイプでもありませんでした。 (『氷点』かよ?そういえば当時ドラマであったな) ちなみに「仇の子」という言い方は父が実際、母の私に対するものの言い方をそういう風に表現したことがあったからです。 母の

        娘は「欠陥品」で不満だらけの母親のいけにえになれ! - 昭和ネコ令和を歩く
      • 実家からの夜逃げ - ぐでぺんLIFE

        ふと今週のお題に目が止まった。「二十歳」。何をしていたかなあ。 多くの同級生が、大学に通い成人式に出て楽しい青春を送っているような時期に、私は夜逃げのような形で実家を出た。実行したのは昼間だけど。 楽しい話ではなく、むしろ暗くて重い話。 まだまだ二十歳で詰めが甘かったと思う点もあるけど、それもまた若さゆえなのかなと思う。 それでもあの時の自分はよくやったし、今振り返ってもあれは間違いなく人生の転機だったし、あのとき実家を出て本当に良かったと今でも思っている。 今週のお題「二十歳」 実家を出たい 事前準備・手配 就職先の確保 貯金 住む場所の確保 住民票の異動 携帯電話の契約変更 引っ越しの手配 荷造り 親へ言う 就職で実家を出る旨を伝える 就職先の寮に入ると言い張る 引っ越し日、時間を調整 引っ越し当日 母親から怒涛の電話、メールが届く 入居 その後 携帯電話の電源を入れて、実家関係を着信

          実家からの夜逃げ - ぐでぺんLIFE
        • いっそのこと早く◯◯でくれないかしらと祈る日々 - ヒロニャン情報局

          私が子供の頃の母と姑である祖母のお話です。 祖母は生きていれば80過ぎの田舎のお婆さんですが、女学院を出たというのを自慢と誇りに思う女性でした。 戦後で没落しましたが、由緒正しい祖父の家に嫁ぎ、孫は長男以外は不要と考える程の長男教(長男は家の跡を継ぐと共に、同居して両親の面倒を当然みるべきとする考え方)でした。 一方の母は高校卒業後は料理学校に通った程度の学歴の為、長男の嫁である母は全てにおいて小間使いさんで、人権なども無く、子供心にも私は祖母が大嫌いでした。 幸いな事に祖父母とは離れて暮らしていましたので、顔を合わせるのは、盆暮れ正月程度ではありましたが、私を含め、母は帰省するのが大嫌いな様子でした。 私には年子の兄がいるのですが、祖母は帰省して兄に会うと「よく来たねー!大きくなったねー」と頬ずりして心底嬉しそうにしますが、その後ろにいた私(当時3歳)には「あれ?あんたも来たの?来なくて

            いっそのこと早く◯◯でくれないかしらと祈る日々 - ヒロニャン情報局
          • 母が「余命10日」の宣告を受けたとき、50代娘が一番後悔した決断 これだけは聞いておけばよかった

            多くの人が直面する親の介護と看取り。両親の介護体験を踏まえ『親の介護をはじめる人へ伝えておきたい10のこと』(ダイヤモンド社)を上梓した作家の鳥居りんこさんは「医師から余命10日の宣告をされた認知症の母親がベッドの上で衰弱し苦しむ中、最終的に『延命治療しない』と決めた自分は正しかったのか、激しい葛藤に苦しみました」という――。 「母が母でなくなり、私も私を保てなくなる」介護は“懲役刑”か 10年前、肺がんだった父(享年79歳)を自宅で看取り、正直「やれやれ」と思ったのも束の間、母(当時75歳)がある難病にり患していることがわかった。日ごとに体が不自由になっていく母の「なし崩し的介護生活」は、文字通り、問答無用で始まった。 親の介護をするつもりは1ミリもなかった。 両親は長男教であり、私は姉兄がいる末っ子で、しかも親から「嫁して実家の敷居をまたがず」という教育を受けてきたからだ。 その顛末は

              母が「余命10日」の宣告を受けたとき、50代娘が一番後悔した決断 これだけは聞いておけばよかった
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