並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 2 件 / 2件

新着順 人気順

黒沢秀樹 実家の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • L⇔R・黒沢秀樹の“意外すぎる現在”、兄・健一さんは脳腫瘍で死去「最後に一緒にできればよかった」 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

    L⇔R・黒沢秀樹の“意外すぎる現在”、兄・健一さんは脳腫瘍で死去「最後に一緒にできればよかった」 エンタメ・アイドル 投稿日:2024.04.27 06:00FLASH編集部 CDの売り上げ枚数が過去最高を記録し、コンビニや飲食店では有線放送がBGMだった1990年代。僕たちを救ってくれた「名ボーカリスト」のヒット曲誕生秘話! 「小さいころ、兄と2人でレコード屋さんごっこをよくやりました」 黒沢秀樹(53)は、そう懐かしそうに話す。 関連記事:元チェキッ娘・下川みくに『DAIBAッテキ!!』で「さすがだなあ」と驚いたメンバーは…やっぱりいまも人気タレント【1990年代アイドルのいま】 1990年に兄の健一さん、木下裕晴(57)とL⇔Rを結成。1991年にデビューすると、1994年には映画『四姉妹物語』の主題歌となった『HELLO,IT’S ME』がスマッシュヒット。1995年に月9ドラマ『

      L⇔R・黒沢秀樹の“意外すぎる現在”、兄・健一さんは脳腫瘍で死去「最後に一緒にできればよかった」 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
    • 『L⇔R』黒沢秀樹が語る「歌番組で共演したSMAP」と「亡き兄の存在の大きさ」 | 週刊女性PRIME

      インタビューに答える『L⇔R』黒沢秀樹。ドラマのタイアップを受け、大ブレイクしたL⇔R。人気絶頂期は「記憶がなくなるくらい働いた」という 1995年に『KNOCKIN'ON YOUR DOOR』が大ヒットを記録した『L⇔R』。デビューは1992年だが、それ以前から音楽活動をしていたという。メンバーの1人、ギターの黒沢秀樹が当時を振り返る。 「兄の健一が高校生のとき、小室哲哉さんが審査員を務める作曲コンテストで賞をもらったんです。のちのち小室さんの番組に兄貴が出させていただいたとき、その話をしていましたね」 当時から音楽業界では健一さんの才能が知られていて、L⇔Rのプロデューサーとなる岡井大二からコンタクトがあった。 「僕が中学2年生くらいのころ、大二さんが僕らの実家に来ました。それで高校生の兄貴について、“ちょっと預からせてほしい”みたいな話を両親としていましたね」 茨城県から上京後は、2

        『L⇔R』黒沢秀樹が語る「歌番組で共演したSMAP」と「亡き兄の存在の大きさ」 | 週刊女性PRIME
      1