マドラサは、法学をはじめとする諸学問の教育を行う施設で、アラビア語で「学ぶ場所」を意味する。マドラサは、それまでモスクなどで行われていた教育活動のために専用の場所や様々な便宜を提供する新たな仕組みとして登場し、10世紀にイラン北東部ホラーサーンに建設されはじめたとされる。11世紀にはセルジューク朝(1038–1194年)の宰相ニザーム・アルムルク(1092年没)がバグダードなどの主要都市にニザーミーヤ学院を建設した。12世紀に入るとマドラサはシリア各地に建設され、同世紀後半にはアイユーブ朝(1169–1250年)下のエジプトに導入された。13世紀・14世紀になるとマドラサは北アフリカからアナトリア、イランにいたるまで広い地域で見られるようになり、マムルーク朝下のエジプトやシリアの都市でも多くのマドラサが建設された1。現在のカイロでも、カラーウーンの寄進施設のある旧市街でマムルーク朝期に建設