「自衛隊を出せば戦争になる」と言われた時代 ――柳澤さんは広報課長時代の1992年に、『セキュリタリアン』を立ち上げました。いまからみても、画期的な広報誌だったと思います。座談会が行われたり、ビジュアルがふんだんに使われたり、それまでのお硬い『防衛アンテナ』とまったく異なりますね。なぜこのような改革をしようと思われたのでしょうか。 柳澤 あれはねえ、ほんと、楽しかったですよ(笑)。私が広報課長になったのは平成の頭ぐらいなんですが、そのときに起きていたのは湾岸戦争なんですね。ただ、湾岸戦争が始まった直後は、防衛庁全体で何をやっていたのかと言われると、「みんなでテレビ見てました」というような状況だったんです。一方で、同じ年に雲仙普賢岳の噴火があって、湾岸戦争が終わった後は機雷除去のための掃海艇派遣もあった。そうした場面で自衛隊の出番が結構出てきて、注目が集まっていた時代でもあったんです。 つま