私が宮崎滔天みやざきとうてんの名を知ったのは、社会運動家としてではなく孫文を支援した人ではなく浪花節語りではなく。 NHK朝ドラ『花子とアン』で、花子の親友白蓮(伊藤伝右衛門の妻)逃避行の相手宮崎龍介の父親としてでした。 www.betty0918.biz 目次 生い立ち 大江義塾で 演説する力 辛亥革命支援者として 白蓮事件 生い立ち 宮崎滔天は肥後国玉名郡荒尾村(現在の熊本県荒尾市)に生まれます。 荒尾宮崎家は1647年、宮崎弥次兵衛正之が荒尾村の有力武士の娘を嫁に迎えたことから定住したことに始まる名家です。上村希美雄監修『夢 翔ける 宮崎兄弟の世界へ』熊本出版文化会館より 熊本城~photoACのフリー素材画像より 兄の宮崎八郎は協同体のリーダーとして西南戦争で戦死しました。 大江義塾で 滔天は官立の熊本中学校になじめず、大江義塾に入学します。 塾の教育方針は極端な自由放任主義でした