牧之原台地開墾の経緯 このブログで、明治元年に徳川家が駿府(静岡)に移封され、旧幕臣達の多くが無禄覚悟で静岡に移住したのだが悲惨な生活であったことを書いた。彼らを救うには彼らが生活できる程度の収入の得られる仕事がなければならなかったのだが、士族の中から、手付かずの原野の開拓に第二の人生を賭けようとした人物が現われたのである。 岩波文庫の『海舟座談』に、旧幕臣達が士族の身分を捨てて静岡で茶畑の開墾を始めた経緯について述べているところがある。 明治二年(1869年)、戊辰戦争が終結した頃に勝海舟は旧幕臣である中條(ちゅうじょう)金之助(景昭)と大草多起次郎(高重)の訪問を受けている。 この二人は、大政奉還後は徳川慶喜を警護する精鋭隊の中心メンバーであり、江戸開城の際には仲間と共に江戸城内で自決するつもりであったが勝海舟の説得で思いとどまり、駿府(静岡)に移住して徳川家康を祀る久能山八幡宮を守護