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芦辺町の検索結果1 - 7 件 / 7件

  • 玄武岩の節理と切り立った崖の迫力が見られる岬 長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

    壱岐の島、東端にゴツゴツとした玄武岩が露わとなった岬があります。左京鼻(さきょうばな)と呼ばれます。断崖絶壁ですが、手すりなどとりつけられておらず、自然そのままの状態が保たれています。 場所:長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触 座標値:33.788227,129.798656 玄界灘をみわたせる、きもちのいい広場↓ 広場を抜けて海岸へと近づくと、黒っぽい岩石で構成された岩場がひろがります。広場から海までの落差は約20mです。足がすくみます。下の写真、右側の岩場を眺めてみると、亀の甲羅のように、なんとなく規則正しいひび割れが生じているように見えます。これら岩石は玄武岩と思われます。玄武岩はマグマが地表近くで急激に冷えて固まった火山岩に分類されます。火山岩のなかでも有色鉱物がおおく含まれているので、写真のように黒っぽい色を呈しています。 地質図naviを参照すると、壱岐の島のほぼ中央部を北西から南東

      玄武岩の節理と切り立った崖の迫力が見られる岬 長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
    • 260基以上の猿の石像がまつられる神社 長崎県壱岐市芦辺町箱崎本村触 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

      壱岐の島の北東部、山中に猿の石像が多数まつられている神社があります。男嶽神社(おんだけじんじゃ)です。神社は男岳(おんだけ)の山頂ふきんに鎮座します。山の標高は168mと低いのですが、周囲に民家はほとんどなく山深い場所にあるという印象をもちます。男岳は明治時代まで、山全体が御神体とされていたそうです。 猿の石像群 場所:長崎県壱岐市芦辺町箱崎本村触 座標値:33.837338,129.751673 男岳の展望台からみる壱岐の島 神社までは車でいくことができ、広い駐車場もあります。壱岐の島を訪れたのは2023年6月24日(土)と6月25日(日)です。男嶽神社へは土曜日に参拝しました。ひとっこひとりいませんでした。宿のご主人に聞いた話によると、壱岐の島はこの時期シーズンオフの時期のようで、7月~8月になると人がおおくなるようです。海水浴やキャンプを目的とするのですね。のんびりと島をまわりたいと

        260基以上の猿の石像がまつられる神社 長崎県壱岐市芦辺町箱崎本村触 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
      • おなかに穴はあいていなかった「はらほげ地蔵」 長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

        壱岐の島の東側、内海湾(うちめわん)の入口ふきんに有名な六基の地蔵菩薩像がまつられています。海のすぐそばです。満潮のときは水につかり、干潮のときは写真のように海からでてきます。「はらほげ地蔵」と呼ばれています。 場所:長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触 座標値:33.784080,129.787458 以下のyoutubeチャンネルで、満潮になった状態での、はらほげ地蔵が紹介されています。満潮時には地蔵菩薩の胸あたりまで海水がくるそうです。 『壱岐で路線バスの旅②』あきひろば‐旅する社会の先生- 『はらほげ」…はら(腹)がほげている(穴があいている)ということなので、地蔵菩薩のおなかの部分に穴があいているのかな、とおもって観察してみました。しかし、大きな穴が開いているようではなさそうです。 正面側から観察しても… うしろ側から観察しても、穴はあいていません。 民俗学者 宮本常一氏の著書である『私

          おなかに穴はあいていなかった「はらほげ地蔵」 長崎県壱岐市芦辺町諸吉本村触 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
        • 赤瀬鼻(あかせばな)に行こうとしたけど行けなかった 長崎県壱岐市芦辺町箱崎諸津触 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

          壱岐の島の北東端、赤瀬鼻(あかせばな)と名づけられた海岸があります。赤色の岩石で構成された海岸なので「赤瀬鼻」。どんな風景のひろがる場所なんだろうと思い行ってみることにしました。しかし、結局たどりつくことはできませんでした。 赤瀬鼻の場所 場所:長崎県壱岐市芦辺町箱崎諸津触 座標値:33.846126,129.768169 赤瀬鼻の駐車場 Google map 「赤瀬鼻」の看板が掲げられている駐車場から磯におりてゆく道が、草ぼうぼうで、踏み跡もみつけられないほどです。地形図をみながら、赤瀬鼻までのルートを再確認してみます。幸い、西側から別ルートで周りこむ道がありそうなので、別ルートから行ってみます。 国土地理院地図の航空写真に、駐車場から赤瀬鼻へたどりつくルートを、白点線で示してみます。八大龍神というところまでなんとかいくことはできますが、それから先、ほんの数メートルですが、雑草にはばまれ

            赤瀬鼻(あかせばな)に行こうとしたけど行けなかった 長崎県壱岐市芦辺町箱崎諸津触 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
          • 大塚山古墳 長崎県壱岐市芦辺町深江栄触 - 墳丘からの眺め

            原の辻遺跡から一支国博物館へ向かう途中に大塚山古墳へ立ち寄った。(先に博物館へ行っていればよかったことは前回書いたとおり) 県道から博物館へ右折し、250mほど進んで右への林道に入り、さらに林道十字路を右折して登って行った先にあった。林道に駐車スペースは無い。 最後の上りは階段状。 森の中に円墳があった。 壱岐で最も古い古墳とのこと。 長崎県指定史跡 大塚山古墳 昭和62年(1987)3月3日指定 所在地:壱岐市芦辺町深江栄触清水504番地3 指定面積:400㎡ 古墳とは、古墳時代(4世紀~7世紀頃)に造営された小高い墳丘を持つ墓のことで、一般的には有力者を葬ったとされている。基本的な形態は円墳・方墳・前方後円墳などであるがここにある古墳は山頂部を活用した円墳に属する。 この古墳は、標高74mの頂上部にあり、竪穴系横口敷石室を持つ。5世紀後半に築造されたものと考えられている。数多く残る壱岐

              大塚山古墳 長崎県壱岐市芦辺町深江栄触 - 墳丘からの眺め
            • 月読神社 長崎県壱岐市芦辺町国分東触 - 墳丘からの眺め

              国片主神社の500mほど東には月読神社があった。 県道に面して鳥居がある。 御由緒には、全国の月読社の「元宮」との説明が。 月読(つきよみ)神社 御祭神:月夜見尊 (前略) 壱岐の県主の先祖、忍見宿禰(おしのすくね)が西暦487年、月読神社を分霊して壱岐から京都に祭りに行かれた。 忍見宿禰により、神道が中央に根ずく事になったとされております。つまり、壱岐島が神道の発祥の地をいわれております。 京都、洛西、松尾大社の横に月読神社はあり。伊勢神宮の内宮に月読宮、また外宮に月夜見神社があります。壱岐島の月読神社が全国の月読社の「元宮」とされております。 平成8年10月 壱岐「島の科学」研究会 石段は急傾斜。 上がって振り返って。 参拝する人は多いようだった。 拝殿の後ろ側に「月弓命」「月夜見命」が祀られる。 社務所・拝殿を横から。帰りはスロープを下った。 こちらの壱岐観光ナビによれば、壱岐島で予

                月読神社 長崎県壱岐市芦辺町国分東触 - 墳丘からの眺め
              • カジヤバ古墳 長崎県壱岐市芦辺町国分川迎触 - 墳丘からの眺め

                前回のムギカミ神社古墳から、さらに壱岐国分寺跡に近づいて、同じくカタカナ4文字の名前に惹かれて訪ねた「カジヤバ古墳」 道路沿いの擁壁の上で、案内板や階段も整備されていた。 階段を上がって墳丘と対面。 最初はここが開口部だと思った。 上記をくぐった先。 そこから左を見て違和感が。 こちら側が前室・開口部のようだ。 上記で振り返った奥壁。 ということは上記の開口部は見学用に作られたもののようだ。 正しい開口部へ回り込む。 現地説明板。上記の回り込んだところが「北西方向に開口」 する側だった。 墳丘自体も道路工事で、5mずらして移築されていた。 カジヤバ古墳 所在地:壱岐市芦辺町国分川迎触字平原311 本古墳は6世紀後半に造られた円墳で、墳丘は後世の耕作や道路工事等によって一部破壊されていたが、残存部分から墳丘規模は直径11m前後、高さ3m前後であったと復元されている。 石室は北西方向に開口して

                  カジヤバ古墳 長崎県壱岐市芦辺町国分川迎触 - 墳丘からの眺め
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