有馬記念で逃げ切りが決まったのは、過去10年でたった一度。 17年のキタサンブラックの引退戦がそれで、レースの中盤にハロン13秒台をひそかに2本入れて後続を幻惑した絶妙なペース配分が、最後のもうひと伸びを引き出した。その鞍上には、もちろん武豊騎手がいた。 キタサンブラックは、その2年前、3歳時に出走した有馬記念でも逃げている。意外なことに、初めて逃げの手に出たのがその有馬記念だった。馬の気持ちに乗る横山典弘騎手らしい手綱で、勝ったゴールドアクターからコンマ1秒差の3着は上々の結果と言っていい。菊花賞を制覇した主戦北村宏司騎手のケガという事情があっての代打横山典だったが、この走りを見て何かを感じたのが武ではなかったかと想像している。次走の大阪杯(逃げて2着)以降、ラストランの有馬記念まで武に鞍上が固まり、その12戦中6戦で逃げを選択して、4歳時の天皇賞・春、ジャパンカップ、5歳時の有馬記念と