「校閲至極」は昨年5月から東京、大阪の校閲記者が交代で執筆しているコラムで、このほど50回を超えました。校閲としてはプロですが、一般記者ではなく記事を書くことは素人同然の筆者ばかりです。その文のどこが高名な作家の注目するところになったのか。ややいぶかしく思いながら会談に臨みました。 会ってみたら驚きました。次から次へと出てくるのは日本語についての話題。作家としては言葉の使い方に関心を持つのは当然かもしれませんが、言葉を直すためそれなりの経験を積んでいる当方も逢坂さんの該博な知識量に圧倒されました。ああ、そういうことをしゃべりたかったのか、それで校閲を相手に選んだのかと納得しました。 「散見される」は「散見する」か たとえば―― なにかが「散見される」という言い方。本来は「散見する」だったということです。辞書の用例は「する」だと。それで思い出したのは、「校閲至極」に初めて拙文を書いたときのこ