思いも寄らぬ落とし穴 神戸の医師の家庭に生まれ、灘高校に進んだ原口恒和──。 ここで灘の沿革に触れておくと、この地方で酒造業を営む嘉納家によって1927(昭和2年)に設立された。講道館柔道の創始者である嘉納治五郎が、創設時に顧問として参画したことでも知られる。神戸市東灘区にある中高一貫教育の男子校で、都立に学校群制度が敷かれた60年代後半、東大合格者数でそれまでトップに君臨してきた日比谷を抜き、私立高校として初めて首位の座に就いた。 そんな灘出身の原口は、70年組でも飛び切り秀才の誉れが高く、国家公務員試験の成績は一番であり、省内でしばしば語られるこの人の灘時代のエピソードがある。「灘中学、高校6年間を通じて、5番以下に下がったことがなかった」というものだ。 秀才揃いの灘で、ここまで安定した成績を収められるのは大秀才の証明であろう。主計局総務課長、近畿財務局長、総務審議官、理財局長と出世コ