1793年のプラハ 旅に連れ出されたベートーヴェン ベートーヴェンがウィーンに来て4年目となる1796年。 その名ピアニスト、名音楽家としての名声は日増しに高まっていました。 パトロンのカール・リヒノフスキー侯爵は、そんなベートーヴェンを演奏旅行に連れ出します。 最終的な行き先は、ボヘミアの都プラハ、そしてプロイセン王国の首都ベルリンです。 これは、7年前の1789年、侯爵がモーツァルトを連れ出したのと全く同じルートでした。 リヒノフスキー侯爵は、ボヘミア王国シレジア(シュレージェン)地方の大領主です。 ボヘミア王は、ハプスブルク家当主が神聖ローマ皇帝、ハンガリー王とともに兼任しており、いわばオーストリアの属国です。 そしてシレジアは、かつてオーストリア継承戦争と七年戦争で、新興国プロイセンのフリードリヒ2世(大王)と、ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアがその支配権をめぐって死闘を演じた