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豊薩合戦の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • 島津の猛攻、大友の動揺、豊薩合戦をルイス・フロイス『日本史』より - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

    天正14年(1586年)から翌年にかけて、九州の情勢は大きく動く。島津氏は大友氏領内へ侵攻。大友氏の本拠地である豊後国(現在の大分県)の制圧を目指した。この争いに豊臣秀吉が介入。大友氏の救援要請を受けて、大軍を九州に送り込んでくる。 この一連の攻防は「豊薩合戦」とも呼ばれている。その様子はイエズス会宣教師のルイス・フロイスがまとめた『日本史』に詳しい。もちろんすべてが正確とは言えないところもあるが、同時代を生きた人物が記した貴重な史料である。 完訳フロイス日本史〈8〉宗麟の死と嫡子吉統の背教―大友宗麟篇(3) (中公文庫) 作者:ルイス フロイス 中央公論新社 Amazon こちらの『完訳フロイス日本史8 大友宗麟編3 宗麟の死と嫡子吉統の背教』 (訳/松田毅一・川崎桃太)から情報を拾ってみる。 大友側からの視点で 宣教師が伝える島津の実力 島津と大友と、そして豊臣秀吉と 戸次川の戦い 豊

      島津の猛攻、大友の動揺、豊薩合戦をルイス・フロイス『日本史』より - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
    • 豊薩合戦、そして豊臣軍襲来/戦国時代の九州戦線、島津四兄弟の進撃(7) - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

      島津義久(しまづよしひさ)・島津義弘(よしひろ)・島津歳久(としひさ)・島津家久(いえひさ)の四兄弟の進撃は、島津氏の最大版図を築く。九州の大部分を制圧しようとしていた。 そして天正14年(1586年)、島津と大友が全面抗争へ。島津氏は大友氏領内への侵攻を開始する。一方の大友義鎮(おおともよししげ、大友宗麟、そうりん)・大友義統(よしむね)は豊臣秀吉を頼った。豊臣秀吉は九州に大軍勢を派遣する。 島津と大友の微妙な関係 天正14年の九州の勢力図 島津の両殿体制、そして日向の末弟 島津と毛利 豊臣秀吉の惣無事令 戦を急ぎたい島津家臣団 豊後攻めが決まるが…… 筑前へ出陣 勝尾城の戦い 岩屋城の戦い 立花山城は落ちず 豊薩合戦 豊後南郡の戦い、落ちない岡城 島津家久の進軍 鶴賀城の戦い 戸次川の戦い 府内を陥落させる 将軍からの手紙 島津軍の撤退 根白坂の戦い 島津義久の降伏 それぞれの降伏 島

        豊薩合戦、そして豊臣軍襲来/戦国時代の九州戦線、島津四兄弟の進撃(7) - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
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