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  • 書籍「ゲームの歴史」について(1) | Colorful Pieces of Game

    このテキストは岩崎夏海・稲田豊史の両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 また、これは史観なのだから実際の歴史から離れていてもいいという主張もあるかもしれないが、それは前書きの段階で無理があると言わざるを得ない。 本書は、ゲームの歴史について書いた

    • 某プログラマが某有名ファミコンゲームのソースをgitに公開したの巻 | Colorful Pieces of Game

      ツイッターでポロっとつぶやいたのだけど、ここでも記事をば。 某プログラマが34年前に発売された某有名ファミコンゲームのソースをgitに公開したので、以下にリンクを置いておく。 GitHub - omuanko/nnjhtrkn: Famous Ninja game for NESFamous Ninja game for NES. Contribute to omuanko/nnjhtrkn development by creating an account on GitHub. 某プログラマからの箴言は以下。 ■某プログラマ ちなみに びるど とおりますうご(www act65 を cpm86 エミュで 試してみた ソース見られるの恥ずかしい いまさらおそいか ちなみに act65は つけてないよ どっかで ひろってね ところで、イマドキな方には全く理解できないことがいろいろあるだろう

      • 書籍「ゲームの歴史」について(12/終) | Colorful Pieces of Game

        このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による、先日絶版・返本になると発表があった『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 (12)は3巻の第22-24章とあとがきを扱ったものになり、今回で最後になる。 いつもの2倍ぐらいの長さがあるので、覚悟して読んでいただきたい。 該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれたり、誤植がある場合があるかも知れないが、そこは指摘いただければ謹んで修正させていただく。 シリーズは以下のリンクを読んでいただきたい。 『ちょっとは正しいゲームの歴史』を国会図書館に納本しましたゲームレジェンド新刊『ちょっとは正しいゲームの歴史』できました書籍「ゲームの歴史」について(

        • 書籍「ゲームの歴史」について(2) | Colorful Pieces of Game

          このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 なお、該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれ

          • 書籍「ゲームの歴史」について(3) | Colorful Pieces of Game

            このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 なお、該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれ

            • 書籍「ゲームの歴史」について(8) | Colorful Pieces of Game

              このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 (8)は2巻の第11-12章を扱ったものになる。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したもの

              • 書籍「ゲームの歴史」について(4) | Colorful Pieces of Game

                このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 なお、該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれ

                • 『迷宮組曲』・連射測定の謎を解く | Colorful Pieces of Game

                  『迷宮組曲』にはちょっとしたオマケとして、タイトル画面で連射速度を測定できるようになっていた。 <キミの連射は秒速何発?> このソフトには、直接ゲームとは関係ないけれど、楽しいオマケ機能がついているんだ。それが連射測定機能だ。タイトル画面のときに、Aボタンを押すと測定機能が働きだす。それから10秒間は、キミの全パワーをAボタンにそそぎこむのだ。10秒以上連射すると、画面の中央上部にキミの10秒間の平均連射数が表示されるんだ。だから、その数字を10で割った数がキミの1秒間の発射回数になるわけだ。これでキミの連射スピードをはかることができるんだ。ちなみに高橋名人の連射速度は秒速16.2発。キミは、名人をこえることができるかな・・・・・・。 『ゲームの説明書』より 画面の上には数字が出るだけで、リセットボタンを押す以外には消す方法もないっぽい乱暴な機能だけど、まあ当時だからOKだ(リセット以外で

                  • 書籍「ゲームの歴史」について(5) | Colorful Pieces of Game

                    このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 なお、該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれ

                    • どうしてハドソンはROMカートリッジを自社生産しなかったか? | Colorful Pieces of Game

                      『ハドソン伝説』に関係して「どうして独自カートリッジを生産しなかったか理由が書いてありましたか」と「ファミコンの最初期から任天堂さんがサードパーティとの生産委託の契約書を持っていた」という、正直な話として、1983-84年当時のことをいろいろ勘違いされているなというツイートを見かけたので、ちょっとここに書いておきたい。 まず「ナムコは独自でROMを生産したのに、どうしてハドソンは独自で生産しなかったのか?」。 答えは簡単で、ナムコはすでにマニュファクチャとして基板を大量生産する能力があったけど、ハドソンにはなく、なおかつそんなことをする金もなかったから。 当時、つまり84年ごろのハドソンはせいぜい数十人しか社員がいない小さな会社で、83年時点で売り上げが全部合わせて20億程度。 ROMの生産委託の2億行かないぐらいの費用すら、集めた問屋の注文を銀行に見せて、ようやく融資してもらっているサイ

                      • 書籍「ゲームの歴史」について(6) | Colorful Pieces of Game

                        このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 今回の(6)から2巻になる。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 なお、該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。

                        • 書籍「ゲームの歴史」について(7) | Colorful Pieces of Game

                          このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 (7)は2巻の第10章を扱ったものになる。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっ

                          • 書籍「ゲームの歴史」について(10) | Colorful Pieces of Game

                            このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 (10)は3巻の第17-18章を扱ったものになる。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したも

                            • 書籍「ゲームの歴史」について(11) | Colorful Pieces of Game

                              このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による、先日絶版・回収になると発表があった『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 (11)は3巻の第19-21章を扱ったものになる。 該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したものになっている。なので校正ミスで本文と若干ずれたり、誤植がある場合があるかも知れないが、そこは指摘いただければ謹んで修正させていただく。 シリーズは以下のリンクを読んでいただきたい。 『ちょっとは正しいゲームの歴史』を国会図書館に納本しましたゲームレジェンド新刊『ちょっとは正しいゲームの歴史』できました書籍「ゲームの歴史」について(12/終)書籍「ゲームの歴史」について(11)書籍「ゲームの歴史」について(10)書籍

                              • 書籍「ゲームの歴史」について(9) | Colorful Pieces of Game

                                このテキストは岩崎夏海・稲田豊史両氏による『ゲームの歴史』の1、2、3の中で、ゲームの歴史的に見て問題があり、かつ僕が指摘できるところについて記述していくテキストだ。 (9)は2巻の第13-16章を扱ったものになる。 該当の本は、ハッキング・箱庭・オープンワールド・疑似3D・2Dなどの通常のゲーム&コンピュータ用語に筆者の独自解釈が含まれていて、それを筆者の都合に応じて定義をいじりながら論を展開するために、極めて独特の内容になっている。 例えば3D描画で背景をテクスチャで埋めると3D+2Dの疑似3Dになると言われたら、普通のゲーム屋なら目を白黒させるだろう。ただ、それは筆者の主張なので「自分はそこは批判はしないが、筆者の見方には全く同意できない」とだけ書いておく。 該当の本の引用部は読みやすさを考慮してスクリーンショットからonenoteのOCRで文字の書きだしをしたものを僕が修正したもの

                                • イースⅠ・Ⅱ通史(19):PCエンジンCDROMの登場 | Colorful Pieces of Game

                                  冬コミで出すつもりの第2巻はPCエンジン版の『イースⅠ・Ⅱ』をどのように、何を考えて制作したのか、それは結果的にはオリジナルスタッフの方向と合っていたのかの答え合わせなんかを、1巻書いた後、オリジナルスタッフが思い出したことなんかを補足しつつ書いていくのだけど、そのターゲットになっていたPCエンジンCDROMももはや30年以上前のハードで、知らない人も多いだろうから、まず制作されたプラットフォームのPCエンジンについて説明しておきたい。 PCエンジンは1987年秋にNECホームエレクトロニクスから発売されたゲームマシンだ。 ポストファミコンを狙って作られたゲームマシンで、 ハドソンが開発したLSIを中心にした、当時としては高速、かつファミコンと比較して、圧倒的に強力なグラフィック・オーディオ性能を持っていて『R-TYPE』の移植などで名を馳せることになった。 そのPCエンジンにCDROMを

                                  • 電撃プレイステーションD物語(1) | Colorful Pieces of Game

                                    考えてみれば「電撃プレイステーションD」および「電撃PS2」のコードを書いていたのは自分だけで、ほとんどの人間はなぜあれが創刊されたのかも知らないと思うので、ちょっとメモ書きがてらに、創刊から電撃PS2になったあたり、そして2006年の最終号あたりのエピソードまでをシリーズとして残しておきたい。 まず対象となっている電撃プレイステーションDについて。 電撃プレイステーションDは、「電撃プレイステーション」の別冊として1997年1月に創刊され、2008年の2月に休刊した、一時流行したディスク付き雑誌だ。 ディスクの中身はゲームの体験版・ムービー、さらにセーブデータ倉庫や独自ゲームや独自企画などまあいろいろなものを企画としてやっていた。 今なら全部ネットからダウンロード可能だけど、創刊された1997年当時はまだ高速なインターネット接続や、さらにCDROMの容量を楽に保存できるハードディスクなど

                                    • 『ときメモ』を巡る25年前の風景 | Colorful Pieces of Game

                                      PCエンジンminiで初めてときメモを遊ぶ人は「幼馴染の万能超人、藤崎詩織にふさわしくなるために自分を鍛えるゲーム」と信じてプレイして欲しいw 元ツイート このツイートをしたとき、いろいろな反応をもらったが、どうしてこう書いたかというと、僕が初めてレビューしたとき、すなわち94年の4月ごろにコナミからやってきた『ときめきメモリアル』のPCエンジン版をプレイするとき、そう思ってレビューを始めたからだ。 それはファミ通のPCエンジン版の最初のレビューでも知ることができる。 僕には伝説的な(7/7/7/6)のまともにプレイしたとは思えないレビューで、じゃあ実質ベタ移植のPS1ではなんで32点(8/8/7/9)なんだよと皮肉を言いたくなる代物だったけれど、書かれていたゲーム内容紹介-- 幼なじみの藤崎詩織ちゃんから告白されるのが目的の、恋愛ときめきシミュレーションゲーム。エンディングはプレーヤーの

                                      • PCエンジンminiのお手伝いしてました | Colorful Pieces of Game

                                        30年前あったPCエンジンという8ビットゲームマシンは、僕にとってとても思い出深いハードだ。 なんせこのハードでゲームを作るプロ側に立てるようになったのだから、そりゃあ思い出も深い。 そのPCエンジンがレトロゲームマシンの復刻ブームでミニとして出るという話になり、なんとそれのお手伝いをさせてもらえることになり、スタッフロールに名前が出ることになってしまった。 30年やっていると、こんなボーナスが出ることもあるんだなと思った。 ではなんのお手伝いをしてたのか? あまり具体的な個々の内容に触れないように書くと、30年前のソフトとハードの中身の説明ということになる。特に多かったのは圧縮・メモリの質問とビデオ周りの質問。 実は圧縮は難しくなくて、当時の圧縮はグラフィック側はLZSSを使って、コレはこんな数字を設定してますよって話を伝えたりすれば「なるほど!」でだいたい終わった。 奥村先生が当時のソ

                                        • イースⅠ・Ⅱ通史(番外):イースグローバルガイドブックの謎 | Colorful Pieces of Game

                                          ”イースの世界設定は『I』・『II』で完全に完結することを前提に作られており、最終的に現実の歴史とリンクするようになっている” 僕のツイート このデタラメには続きがあり「オリジナルスタッフはⅠ・Ⅱで終わらせるつもりで辞めた(Ⅲはつまり他が作ったことになっている)」とか「山根は続けたかったからⅠ・Ⅱでシナリオいじった」とか、もうよくこんだけデタラメを書けると呆れる代物だ。 このとんでもないデタラメはwikipediaのイースシリーズの初期の項目を筆頭に、何か所かで書かれていたのだけど、これにモトネタがあるのか不思議に思っていた。 というのも、山根のくだりはともかく、それなりに発想力のある話で、素人がゼロから考られるとはさすがに少々想像しがたく、何か元ネタがあったのかなあ? と調べていただけど、さっぱりわからず、ツイートしたのだけど…そしたら、このツイートを日本ではクトゥルーとレトロゲームにつ

                                          • 音ゲーが登場した瞬間 | Colorful Pieces of Game

                                            突然、ちょっとしたエピソードを残しておきたくなった。 「近代音ゲー」が登場した瞬間をいつかといえば、間違いなく『パラッパー・ザ・ラッパー(1996/PS1/SCE)』が登場した瞬間。あの時まで、音ゲーなんてジャンルは存在していなかった(ちなみに最初は「リズムゲー」と呼ばれていた)。 もちろんコンピュータゲームにはサウンドがついているものなのでゲームの中で音がキーになってるゲームはいろいろあった。 例えば『ジーザス(1987/PC-88SR/ENIX)』がそうだし、あのルーカスアーツの、あのブライアン・モリアーティが作った『LOOM(1990 /PC-AT/Lucas Arts)』もそうだ。また音ゲーの元祖に『オトッキー(1987/ファミコンディスクシステム/アスキー)』を挙げようとする人もいるだろうし、『たけしの挑戦状』のカラオケ、『いきなりミュージシャン(1987/ファミコン/東京書籍)

                                            • イースⅠ・Ⅱ、オープニングの開発過程 | Colorful Pieces of Game

                                              手持ちで残っている開発途中のイースⅠ・Ⅱは以下のディスクが残っている。 89年6月半ばのバージョン89年7月半ば~末ごろのバージョン89年9月末~10月初頭(じゃないかと思う)バージョン89年10月末バージョン89年11月マスター版(中身はもちろんマスターだけどスタンパとして残っている) 正確には1枚を除いてディスクには日付が書かれているのだけど、それは「ハドソンに到着した」ということで、当時スタンパのテープを出してから1週間以上かかっていた記憶があるので、ディスクの日付と内容から察するに「ここらへんのバージョンだろう」ってことだ。 これらは全部リッピングしてデータの形にしてあるのだけど、なんてこともなくこのオープニングの中身を調べたところ、かなり中身が違ったのでtwitterに動画を上げて見られるようにしたのだけど、映像資料として残しておくという点では検索性が低いなと思ったので、全部yo

                                              • さあにんさんの赤入れ | Colorful Pieces of Game

                                                ファミコン 誕生から37年も“現役” ブランド健在の理由(河村鳴紘) - エキスパート - Yahoo!ニュース 任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が1983年に発売され、7月15日に“37歳の誕生日”を迎えます。中古ゲーム店でもいまだにソフトが取り引きされており、ファミコンソフトのオンラインサー の記事について。編集者の赤字です。 「ファミリーコンピュータ」は、世界で6191万本を出荷した家庭用ゲーム機で 単位が合っていません。 ですが20年後の2003年、部品の確保が難しくなり生産を中止、2007年には修理も終えて「ゲームオーバー」になったように見えました。 20年もゲームオーバーになってなかったのか! という驚きの方が多いんですが、どうでしょうか。 また特許権が切れたので、互換機がフリーになりました。なので今でも互換機で昔のカセットを遊ぶことができます。 またゲーム機「

                                                • サンクリの新刊 | Colorful Pieces of Game

                                                  サンクリ用の新刊作った 新刊のタイトルは『書籍「ゲームの歴史」を批判する。概論』。 パイロット版とか準備号とかいろいろ考えたんだけど、まあ概論でいいかなと思って、このタイトルになった。 批評ではなく批判なのは、そのほとんどが事実として明らかに誤っているところ及び、自分が「?」と思ってソースが見つからなかったと指摘しているところだからだ。 要は批判しかないのに批評って言い方はないって話だ。 20ページほどの本で、ここしばらくずっとやっていた、岩崎夏海・稲田豊史両氏の書いた「ゲームの歴史」1についての批判をまとめて縮めて、さらに2,3の簡単な批判をつけて、全体の概論として「どれぐらいこの本が事実と比べておかしなことが書かれているのか」を説明した内容だ。 先に書いておくと、概論で、2・3についても触れたと書いたけれど、あまりに誤謬が多く、かつ問題のある内容なために、ページ数が全然足りなくて、後半

                                                  • 1988年のPCエンジンCDROM | Colorful Pieces of Game

                                                    とても楽しいハドソン系の飲み会があり、そこで預かってくれないか? と言われたのが、1988年9月に作られたNO・RI・KOのディスクだった。 ウラノリコと書かれているのは、画像データの大半が仮素材の代物だったからだ。 なお、当時のスタッフがPEというエディタで適当に描いたもの。 NO・RI・KOはアルファシステムが制作しているので、マウスで適当に描かれたテキストに結構九州弁が含まれているのがなかなかに面白い。 これはスタンパ(と当時は僕らは呼んでいた)形式、つまり本当に生産されたもので、記憶ではマスターを出すとだいたい一週間ぐらいすると来るものだったわけだけど、どうしてこんな仮素材の代物をスタンパにしたのか? 誰も本当にCDROMでゲームがちゃんとが動くのかわかっていなかったし、見たこともなかったから、実ディスクを作ってみるのが必須だった 1988年8月ぐらいまでBIOSを作っていて(僕も

                                                    • さくま先生のこと | Colorful Pieces of Game

                                                      先日、ちょっとしたことがあって、20年以上ぶりにさくまあきら先生に挨拶させていただく機会があった。 もう本当に不肖の弟子筋(と勝手に思わせていただいております)として挨拶させていただいて、心の底から嬉しかった。 さくま先生は、僕にとってもうどれだけお礼を言っても言い足りない本当の恩人にして先生と言える方だ。 1989年初頭、さくま先生(と桝田さん)は、どういう気まぐれだったのか、今でも不思議なのだけど『凄ノ王伝説』を僕の目の前でどんちゃん(と正確にはもう一人いたのだけど、まあどんちゃんで代表させておいて大丈夫なので、どんちゃんと書いておく)にプレイさせてくださった。 時期は、確か『凄ノ王伝説』のマスター前後だったと記憶している。ファルコムに行ったあとだったかは覚えていないのだけど『イースⅠ・Ⅱ』を(ファルコムがOKと言えば)やることは決まっていたと思う。 目の前で繰り広げられたどんちゃんの

                                                      • OCRは「マリオプラザーズ」の夢を見る | Colorful Pieces of Game

                                                        『ちょっとは正しいゲームの歴史』…というか、ともかく「ゲームの歴史」を批判するシリーズで困らされたのがOCRだった。 Kindle本からテキストで全部コピー出来ればいいのだけど、Kindleは出版社それぞれがコピーできる量を規制していて(当たり前だ)、それを超える量はコピーのしようがない。 そしていうまでもなく、ゲームの歴史批判シリーズは、死ぬほど引用するので、当然のことながら出版社の制限を超えることになる。 なお、この膨大な引用を「これはいいのか?」と言っていた人がいたらしいが、全く問題ない。 引用は認められた権利で、引用した内容ではなく、それを引用する意味があった本文があれば、なんの問題もない。 そうじゃないと「引用して批判する」ことが出来ないことになってしまうでしょ? といって、画像引用にすると縦書きになってしまい、ウェブでは読みづらい事、この上ないので以下の方法でテキスト化した。

                                                        • 映画のようなゲームが出来た日 | Colorful Pieces of Game

                                                          1997年1月31日がFFⅦの発売日だったとニュースで読んだので『ドラクエとFFとToHeart』って、どう繋がりがあるのかタイトルからではさっぱりわからない同人誌から、FFⅦの一節を少しアレンジして掲載したい。 以下、本文。 FFⅦの最大の功績は何だったのかと言えば、3Dポリゴンを使用したコンピュータRPGを非常に印象的かつ完成度の高い形でプレゼンテーションしたことに尽きる。 そのプレゼンテーションとはなんだったのかというとFFⅦ・Ⅷ・ⅨのPS1でのFF三部作でも技術的なメインテーマで、Xで初めて完成の領域に近づいたゲームとムービーのシームレスな融合、すなわち映画のようなゲームだ。 これを可能にした決定的な理由はPS1のハードウェアにある。 PS1には当時としては非常に高性能なムービー再生用ハードウェア(特殊なDSPのような物)が搭載されており320×240で秒20~30フレーム程度の速

                                                          • ロードランナーはブローダーバンドにNGを食らったか? | Colorful Pieces of Game

                                                            たまたま、以下のブログ記事が自分のところに流れてきて、twitterでゴチャゴチャ書いたけど、こんなのtwitterで書いてもしょうがねえやと思ったので全部削除して、記事で書くことにした。 記事の問題点は下の引用部、ブローダーバンドからスクロールするからという理由でNGを出されたが、高橋名人がそれを説得してOKにしたという部分に尽きる。 実際、オリジナルのブローダーバンド社からは「これはパズルゲームではない」という理由でNGが出されています。高橋名人が説得したらしく、そのままでOKとなったようですが(どうやって説得したかは覚えてないらしい)、(以下略) https://www.cobalog.com/entry/loderunner まず、高橋名人が説得については間違っている。 このブログ記事は高橋名人のブログ記事を参考にしているのだけど、高橋名人はこれについて伝聞で書いている。 がしかし

                                                            • イースⅠ・Ⅱ通史(18):イースⅠ・Ⅱ始まる | Colorful Pieces of Game

                                                              イースの移植の話が始まったのは、僕がハドソンでPC-8801(MkⅡ SR)版『イースⅡ』にハマっていたから。 1989年1月、デビュー作の『凄ノ王伝説』がデバッグに入っていてヒマになっていたのもあり、北海道ハドソン技術本部4Fの開発の隅にあった企画のエリアに入り浸って『イースⅡ』(88年発売)で遊び倒していた。 正確には一度は遊んでいたのだけど、もちろん『凄ノ王伝説』を作っているわけで、そのあと遊ぶヒマがなかったのだ。ハドソンの僕の机にあったのはPCエンジンとファミコンで、遊ぶチャンスがちょっとしかなかったのである。 そして遊ぶヒマが出来てからは2回クリアして、毎日デモ眺めてたんだから、どんだけ好きなんだと自分でも思ってしまう。 そこに当時ハドソンの常務だった中本さんが「そんなにイースが面白いんだったら移植をしないか?」ともちかけてきた。 もともと僕はゲームを作る上で、ビジュアル指向・映

                                                              • 『ゲームセンターあらしと学ぶPython』を読んだ | Colorful Pieces of Game

                                                                実はPythonのとても古いユーザーだった。 僕が2000年ごろからしばらくPoser(というソフトがあるのだ)にハマりにハマっていたとき、Poserが実装していた拡張ツール用の言語がPythonで、またモデラーのメタセコイアにもPythonが採用されていたので、ずっとPythonを使っていたのだ。 そのあとしばらくして使う機会がなくなっていたのだけどオライリーから出版された『退屈なことはPythonにやらせよう』という本を読んで、最近のPythonのライブラリの充実ぶりと使い方を知って、Anacondaをインストールして使うようになった。 これがまたVS codeと組み合わせると、実にイロイロ書きやすくて、ちょっとしたツールを書くのにやたらとPythonを使うようになっていた。 excelからナニからともかくpytyonでイロイロできるのである。あまりに便利なもので、ともかくチョコチョコ

                                                                • ディスクファックスのコト | Colorful Pieces of Game

                                                                  太古の時代、ISDN回線でフロッピーディスクのデータをまるまる転送できるFDトランスファーという驚異のマシンが存在していた。電子メールで1MB以上のデータを送るのも憚られた時代だった。 pic.twitter.com/7o2j28MD8w — Watanabe (@nabe1975) September 2, 2020 これは、初期のISDN回線(64K)を使ってフロッピーのデータをやりとりできる、という代物。 ISDNは64キロビット=秒8キロほどの転送速度なので2HDの約1000キロバイトだと、だいたい2分ちょっとぐらい通信時間はかかることになる。 でも、当時使っていた人たちは、みんな(僕も含めて)数分以上かかったという記憶があるので、たぶんエラーチェックのやりとりまで含めると数分以上かかっていた、ということだろう。 ついでに書いておくが、これでも当時最高速に近かった28800ボーのモ

                                                                  • イースⅠ・Ⅱのエンディングの開発版 | Colorful Pieces of Game

                                                                    手持ちで残っている開発過程のイースⅠ・Ⅱは以下のディスクが残っている。 89年6月半ばのバージョン89年7月半ば~末ごろのバージョン89年9月末~10月初頭(じゃないかと思う)バージョン89年10月半ば~末バージョン89年11月マスター版(中身はもちろんマスターだけどスタンパとして残っている) この中でエンディングがまともに入っているバージョンは2つ、10月末と11月マスター版だけだ。 9月末バージョンではフィーナとしゃべるところまでは入っているけれど、プレイを終了するとハングアップ。 なんかちょっとぐらい入れておけよ俺! と突っ込みたくなるのだけど、まあ開発版なんてそんなもんだw で、エンディングが入っている10月半ば~末バージョンは、カットはほぼ全部入っているのだけど、大きく違うところが一つある。 それは踊りがないことと、スタッフロールの表記が違うことだ。 というわけで以下がその動画。

                                                                    • 『天外Ⅱ』に参加しようと決めたワケ | Colorful Pieces of Game

                                                                      『天外Ⅱ』の発売28周年というので、ちょっと記事を書いておこうと思った。 continueでちょっと喋って、下の記事でもちょっと書いた話だけど、詳しく書いたことはほとんどないなあという話。 どうして『天外Ⅱ』の仕事を受けることにしたのか? 大恩人の中本さんに頼まれたら、やっぱり断りにくい…というか、断るなんてありえないっしょ。 また、当時は超大作RPGを作るのに憧れてたし、広井さんに「岩崎じゃないとヤダ」と指名を受けたのはもちろん嬉しかったし、かつ桝田さんがスゴく仕事が出来る人だったので一緒に仕事してみたかった。 ここまでは、まあ普通の話だと思うのだけど、あと一つ、とても大きな理由があった。 それは「辻野さんのコンテをちゃんとコンテ通りに動かしたかった」のだ。 どういうわけか、僕はたまたまコンテを読む能力があった。 不思議だけど、あったのだ。 そして、当時、コンテを読めるヤツはハドソンには

                                                                      • 30年後より愛をこめて | Colorful Pieces of Game

                                                                        先日、『イースⅠ・Ⅱ』が発売30年だって見て「あっ」と思ったので日記など。 ちょっとだけ言い訳すると、自分にとってはマスターアップの11月の方が思い出的には深くて、発売日はヨドバシにいって1枚買って「売ってるなあ」ってニヤニヤして帰ってきて起動して「動いてるなあ」ってニヤニヤしたことぐらいしか印象に残ってないのだ。 まあ作り手にとってはマスターとアンケートの方が発売日よりずっと大事なもの…だったんだよ。今は0デイパッチとかあるから、発売日までマスター提出みたいになってて、大事になっちゃってるけど。 ところで、この記事を書き出して、ハドソンに国内版がもらえなかったことを思い出すなどw 年明けに打ち合わせに行ったとき、誰もくれなかった!w 海外版はジョン・グリーナーからもらったのに、国内版は誰もくれなかった!w と、下らない話はともかく。 『イースⅠ・Ⅱ』は自分にとって奇跡だった。 『天外Ⅱ』

                                                                        • 桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(7) | Colorful Pieces of Game

                                                                          桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(1)桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(2)桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(3)桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(4)桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(4.5)桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(5)桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(6)桝田方式によるユーザーストーリーの作り方(7) “Progession Wall”とはなにか? 直訳すると”進行するときの壁”とでもいうところになる。 そもそもはRPGなどで難易度の壁を作るために必要なゲームデザイン上の技術で、これが転用されて海外で極めてよく使われるマネタイズの技術になっている。 非常に基本的な概念なので、まずRPGやCity Builder系でよく使われる形式でユーザーの所持金に関係するモデルを組み立てよう。 極端に単純化してあるモデルだが、ちょっと

                                                                          • 30年ぶりに同じ文句を言われたw | Colorful Pieces of Game

                                                                            PCエンジンminiのレビューが始まって『イースⅠ・Ⅱ』のレビューがあった。 【PCエンジン mini全タイトルレビュー!】「イースI・II」/「Ys book I&II」 ぶっちゃけた話として、30年前にパソコンユーザーに言われた文句とまるで同じ文句を書かれていて「こんなところまで復刻かよ」と笑ってしまった。 30年前にパソコンユーザーの特にPC-8801MkⅡSR以降版をプレイした人に良く言われた文句を順不同に並べると… イース1のエンディングがない (下と繋がるけど)THE MORNING GROWがない (これは綴り間違いではない。OSTでそうなっているのだ)ダームの塔でレベルが上がる、完璧なバランスを壊してるラストのリリアの扱いが気に入らないサウンドのアレンジ版が気にいらないⅠとⅡを別々にプレイできないイースⅡのボス曲”Protecters”が入ってない声がいらないダルク・ファク

                                                                            • 『ハドソン伝説4』補足、CD-ROM開発システムの野沢ボックスの画像が見つかった | Colorful Pieces of Game

                                                                              『ハドソン伝説4』を書く上で、どうしても見つけたかった写真があった。 それが野沢さんの設計によるCDDA変換BOXだった。 上の図の赤い箱がソレ。 自分の記憶では金属の箱でCDへの出力とアナログからCDDAのデジタルにコンバートするための入力がついていて、あとSCSIが98側から出ていて、それをぶっ刺し、箱からPCエンジンの開発機の上に繋ぐIFU-30の開発機用のバージョンに接続する…と、覚えていたのだけど、ともかく写真がなかった。 自分の持っている手持ちの雑誌には1枚の写真もなく、またインターネットを探し回っても見つからない。 どうしようもなくて、とうとう諦めて、その写真はなしで『ハドソン伝説4』はコミケで出ることになった。 それで1週間もしないうちに、ゲーム史関連で見つからない『天外Ⅱ』の情報があり、気になって検索したら動画の欄に僕のインタビューが出た。 なんてこった、右に開発機がある

                                                                              • 『電撃PCエンジンmini』のインタビューを受けました | Colorful Pieces of Game

                                                                                つい先日の話なのだけど、PCエンジンminiの発売を記念して、『電撃PCエンジンmini』が出版される話になり、それのインタビューを午前と午後の二本立てで受けるってことになった。 午前は『天外Ⅱ』で、桝田さん・辻野さん・あだちさん・そして僕という4人のメンバー。 インタビューするのは『天外Ⅱ』を小学校の時に遊んだという子だったのだけど、桝田さん、いきなり「親が金持ちだったのか、友達が金持ちだったのか、どっち? CDROMって高かったじゃん?」 答えは「兄貴が遊んでたんです」。 「やっぱ家が金持ちだったんじゃん」みたいなパンチあふれる展開に。 Evan-Amos – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18312042 『天外Ⅱ』発売時にスーパーCDROMの主力になりつつあったのは

                                                                                • アーケード&ファミコン版『アーガス』のエピソード | Colorful Pieces of Game

                                                                                  話はfacebookでの綾部和さんのこのポストから始まる。 綾部和さん NMKで『エスパ冒険隊』などを制作。 1997年にミレニアムキッチンを創業。 『ぼくのなつやすみ』シリーズが有名。 ■綾部さん この記事に「ファミコンは足し算と引き算しかできません」と書いてあるけど、方法を知っていればそこそこ高速に掛け算、割り算ができるんだよ、と言いたい(笑まあ、大量に使う場合は僕も結果をテーブル化してたけど。 記事へのリンク https://twitter.com/itm_nlab/status/1290973324760059909?s=21 計算方法 筆算でやる場合と同じことを2進法でやると速いです(×0と×1しかないので)。10進法の筆算でも下の段が0と1しかなかったら早いのと同じ。 まあ確かにそうで、ROM容量がない当時は全部テーブルってわけにもいかず、いかに高速な掛け算と割り算を実行するか