17日、観察者網は記事「釣魚島で尊重を勝ち得て初めて南シナ海での尊重を勝ち得る」を掲載した。積極的に武力を誇示して初めて日本との友好関係を結べると提言している。写真は台湾から最も近い中国本土の都市、福建省アモイ市。 2012年8月17日、観察者網は記事「釣魚島で尊重を勝ち得て初めて南シナ海での尊重を勝ち得る」を掲載した。以下はその内容。 【その他の写真】 先日、ある日本のメディアは「尖閣諸島は東アジアの紛争海域のモデルにするべき」との社説を掲載した。あたかも書生のような理想論のようにも見えるが、その隠れた意図を考えてみたい。私が想起したのは20世紀前半の日中関係史だ。 1931年の満州事変後、蒋介石政権はまさに中国東北部を「紛争解決のモデル」とするべく国際連盟に提訴。リットン調査団が派遣されたが、日本はその間に支配体制の強化を進めた。その後も日本の侵略が拡大するたびに同じ事が繰り返さ