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ブックマーク / k-natsuba.hatenadiary.org (7)

  • エロゲーにおけるセカイ系とは - 帰ってきたへんじゃぱSS

    セカイ系とはポストエヴァンゲリオン症候群のことだ、と言ったのは宇野常寛であり、そもそもぷるにえブックマークで提唱された時から、セカイ系とはエヴァ以降の、という問題意識がその根底に据えられていた概念だったはずだ。 超然主義的セカイ系論は、まずもって多様な方向の模索されたポストエヴァ的想像力*1が三大セカイ系*2的セカイ系へと収斂していく過程*3のダイナミズムを捨象してしまっており、セカイ系が来持っていた最も美味しい部分を失った、絞りかすだけを問題にする退廃的な態度であり、従って、ポストエヴァ性という時代的・文脈的制約を外したセカイ系論はすべて無価値であると言ってそう大きな取りこぼしはない。 このような切断を積極的に進めた笠井潔が一方で有栖川有栖のパズラー超然論を批判し大量死/大量生理論に拘って見せた、時代的・文脈的制約をこそ重視して見せたのは解せないのだが、バズワードをきっちり自分の守備範

    エロゲーにおけるセカイ系とは - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 『エヴァ』から『ヱヴァ』までのアニメ十選。 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    『シムーン』BD化交渉支援のつもりで書き始めたエントリだけれど、結局間に合いませんでした。なので、せめて翠玉の日に。しかも9月第四月曜深夜と言う緩さで。深夜? 要はかのオタ軽10のもっとヒドいような奴です。 『エヴァ』放映終了後の96年4月から『ヱヴァ序』公開開始の07年9月、ということは実質07年7月クール放映開始までの期間の、これを外す奴とは親しく付き合えないという作品を十選んでみました。基準は、『エヴァ』以降の問題意識をどれだけ引き受けているかと、『ヱヴァ』への道均しをどれだけ終えているか。 なんというか、客観性なんぞはあるわけはないのですが、少なくとも俺はこういうことを考えながらこの15年、アニメを見てきたのです。 笑えばいいと思うよ。 機動戦艦ナデシコ(1996年) 『エヴァ』以降の流行りモノ、と思われているものは、大体は『ナデシコ』が準備していた、というのは、これはアニメ史的

    『エヴァ』から『ヱヴァ』までのアニメ十選。 - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS

    例のBD化投票に入れたコメントが結構よくかけた気がするのでサルベージしておきます。 『シムーン』と『スカイクロラ』と西村純二と押井守の四題話。 http://ameblo.jp/bdmeister/entry-10325396151.html 世界の基底的現実に向き合わされないための猶予として戦争があるのだとすれば、畢竟戦争とは思春期のメタファーであるのではないでしょうか。だとすれば、思春期の少女たちが少女であるがゆえに戦わされ、そして少女であり続けるために戦うこのシムーンという物語はまさに戦争の普遍的な意味を抉り出していると言えるでしょう。 このようなモラトリアムとしての戦争という考え方は、押井守監督作品、殊に世界の基底的現実を戦争と見た機動警察パトレイバー2の戦争観の正反対に位置するものです。 思えば、作の西村純二監督は、うる星やつらの演出スタッフとして頭角を現した作家でした。押井脚

    ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS
    selim
    selim 2009/09/12
  • ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS

    http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090506/p1 いやそれ『プシュケの涙』だけじゃね? 『ぜふぁがるど!』とか全然そういう構図ないぜ。 で、『お稲荷さま。』。 流れていく時間の中で兄弟の母親が死んだインパクトを後生大事に、それこそ、永遠の時間感覚の中で抱え込んでいるのはクーちゃんだけであって、みんなそれなりに、コンビニの売り上げとか好きな男の子のこととかばっか気にして日々をのほほんと過ごしている、というのが『我が家のお稲荷さま。』じゃない。そういう意味ではイーガンの「ボーダーガード」みたいな話だよ、『我が家のお稲荷さま。』って。 三槌家の当主であることや大妖怪天狐空幻が側にいることのほうが結局は高上兄弟のもとに怪異を呼び込む原因となっているわけだけれど、それを全て母親の死に起因する、と称してしまうのは不可能ではないにしろ牽強付会だろう。美夜子のことなんてや

    ■ - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 2007-03-14

    感じると吐息が毒に、という陽炎能力って、セックスの下手な男だったら全然恐れる必要ないよね? 卍谷の男たちはみな大変に上手い、ということか。忍者だもんな。 あるいはセックスパートナーは悦ばせるのが当然、という山風一流のリベラリズムか。 感情移入について。 俺はこれまで、感情移入ってのは単にある人物の感情・言動の理路が説得的である、と感じられることだと思っていた、というか、そうでさえあれば俺も同じ状況では同じことを思うだろうなと思っていたのだけれど、世間で言う感情移入ってのはそういうもんじゃないらしいぞ、とは薄々気付いていたわけで、それがつまりなんなのか、は『まなびストレート』を見るまで全然わかっていなかった。 結局、世に言う感情移入というのは、 人物の感情・言動の理路が説得的である、と感じられること 人物の感情・言動の理路が自分と類似している、と感じられること 作品世界内のある一点から眺めら

    2007-03-14
  • 90年代ライトノベルシーンに関するアスペクトを持つために欠かすべからざる7冊 - 帰ってきたへんじゃぱSS

    http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20070219#1171886243 全面的に同意、という奴なのですが、ひとつ付け加えさせていただければ、「同意を得られるとは限らない」てのは、にも関わらず同意が得られてしまう奇跡に思いを馳せさせずにはおれないロマンティックな言葉なのではないかと。 松岡洋子と進藤尚美が親子だった。当によくコンビ組むなあ、この二人。 ロードス島戦記―灰色の魔女 (角川文庫―スニーカー文庫) 作者: 水野良,出渕裕,安田均出版社/メーカー: 角川書店発売日: 1988/04メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 497回この商品を含むブログ (46件) を見る新装版フォーチュン・クエスト〈1〉世にも幸せな冒険者たち (電撃文庫) 作者: 深沢美潮,迎夏生出版社/メーカー: メディアワークス発売日: 2002/05/01メディア: 文庫購入

    90年代ライトノベルシーンに関するアスペクトを持つために欠かすべからざる7冊 - 帰ってきたへんじゃぱSS
  • 帰ってきたへんじゃぱSS (男子より女子のほうが精神年齢が高い)これ都市伝説なんじゃねえかなあ。

    http://d.hatena.ne.jp/arctan/20061219/1166544299 もちろんakio71さんが書くように現実には「中学生、高校生のとき、女子より精神年齢の高い男子なんて、学年に1人か2人もいればよかった」というのは誰もが知っていることであり、 えー、これ都市伝説なんじゃねえかなあ。 女子高生は知らんが、女子小中学生てーのは排他的親友システム*1とか連れションとかの奇習に耽るよく分からん生き物なんじゃないの。で、そんな女子小中学生が学級内に張り巡らせる奇妙に精緻に制度化された人間関係ってさ、結局官僚主義的な硬直状態に陥って機能しないもんだったりしなかった? そういうのを傍目で見てバカかこいつら、って思わなかった? 俺は思った。 で、そういう官僚機構を組み上げさせる原動力ってのはさ、能力の高さだのなんだのを経由せず直接に権力を志向する、女性特有の安易で卑俗な権力欲

    帰ってきたへんじゃぱSS (男子より女子のほうが精神年齢が高い)これ都市伝説なんじゃねえかなあ。
    selim
    selim 2006/12/21
    >少女の秘密を仮構する語りが権力的なのは言うまでもなかろうて。
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