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歴史と岐阜に関するsem07のブックマーク (1)

  • 岐阜の原風景・現風景5 岐阜駅前北口広場織田信長像03

    岐阜市はもともと城下町だったのか? という質問には、「いいえ」と答えざるを得ません。 確かに、斎藤道三が稲葉山城を居城とした、1539(天文8)年から62年間は、城主こそ短期間で代わりましたが、稲葉山(金華山の頂には城があり、城主がいたのですから、城下町であることに間違いはありません。 しかし、関ヶ原の戦い直後の1601年に岐阜城が破壊されて以後は、岐阜に城を持ち、岐阜の町を支配する大名はいなかったのですから、これはやはり城下町とは言えないでしょう。 現在では岐阜市に含まれている、岐阜市加納の旧中山道加納宿には、江戸時代を通じて加納城と大名が存在しましたが、この存在は岐阜の町とは一緒にはできがたいものです。 つまり、岐阜の町は、常識的に考えれば、「江戸時代の城下町としての歴史」を持たない、県庁所在地なのです。

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