2009年、フェラーリのテクニカルディレクターであるアルド・コスタ(当時)と会話する浜島裕英。浜島の優れた資質は、フェラーリだけでなくブリヂストンのタイヤを使用する全てのチームが認めるところだった 浜島がブリヂストンに入社したのは、1977年。大学院から新卒で入社した浜島は、4年後の'81年からブリヂストンのモータースポーツ活動に従事する。F1に参戦した'97年からは現場責任者として指揮を執り、多くの栄光をブリヂストンにもたらした。F1参戦14年間で獲得した勝利は175勝。その中には、欧米の二大メーカー、グッドイヤーとミシュランとの戦いを制して挙げた輝かしい勝ち星もある。 F1撤退後の2011年は、タイヤ開発第2本部付フェロー(本部長)として、ブリヂストンのモータースポーツ活動の再編を断行。本人は定年後も再雇用してもらい、生涯ブリヂストン社員で全うする気構えでいた。そんな浜島が一転、安定し