![Amazon.co.jp: エスキモ-が氷を買うとき: 奇跡のマ-ケティング: ジョンスポールストラ (著), 喜一,宮本 (翻訳), Spoelstra,Jon (原名): 本](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/94770bd99a6fc8b47ce71b7dd94bd5a9e80b2e95/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51lPzjmdPyL._SL500_.jpg)
面白いとは何だろう?美というものの価値基準は有史以来少しも変遷していない。それは夕やけに対する人々の認識が古来より少しも変遷してないということだ。「秋は、夕暮」というやつである。もちろんスモッグなどの影響で、夕やけそのものが美しく見えなくなったということも場所によってはあるだろう。けれどもそれは、夕やけそのものの美しさが損なわれたということではない。スモッグによって、美しいものを美しいままに見られなくなったというだけだ。 夕やけの美しさを知る人は、永遠不変の美というとああ夕やけのことかとすぐにピンと来る。彼らにとって美というのはものすごくクリアーな概念だから、それを疑いようもないのだ。一方美というものの価値基準と言われてもピンと来ない人たちは、ちゃんと夕やけを見たことがない人たちである。彼らは夕やけをというものを知らないか、あるいは知っていてもスモッグのかかった夕やけしか見たことがないかで
以前に書いた、美というもの価値基準という記事に対して、こういうブックマークコメントを頂いたのですが、分かってないなあという感じです。tks_period この人の文章の大元はこれかと思った。 夕焼けなどからの感動を大切にする気持ちは素晴らしいと思うけど、例えば夕焼けを不吉とする文化があるかも、あったとしたら理解する、という視点が抜けてると思うんだよな。はてなブックマーク - momento / 2008年09月08日 この人は人間というのを理解していない。きっとそれほど一生懸命考えたこともないのでしょう。例えば「夕焼けを不吉とする文化」を持つ人がいたとします。自分とは違う文化です。そういう人に対して、「おまえは間違ってる」と拒絶反応を示すのと、「自分とは違うが、わかります」としたり顔で理解を示した場合、どちらの方が友好的な関係を築けるか――これはもう、言うまでもなく前者なのです。 人間とい
「だまされた」と思わせずに大衆を騙すテクニックがわんさと紹介されている。 広告・政治宣伝のからくりを見抜くスゴ本。コマーシャルで衝動買いしたり、連呼されるワンフレーズ・ポリティクスに洗脳されることはなくなるだろう。マスメディアの欺瞞を意識している方なら自明のことばかりかもしれないが、それでも、ここまで網羅され研究し尽くされているものはない。 もちろん、チャルディーニの「影響力の武器」と激しくカブってる。その研究成果が幾度も引用されており、暗黙のお返しを求める返報性の罠や、小さなものから大きなコミットメントを求める一貫性の自縄自縛のテクニックなんて、そのまんまだ。 しかし、破壊力が違う。「影響力の武器」を一言であらわすならば、「相手にYesといわせる」ことを目的としているが、本書はそれに加えて「相手を説得し、積極的に賛同させる」ことがテーマなのだ。さらに、一人ふたりではなく、大衆レベルで実現
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