『「J」の履歴書 日本サッカーとともに』川淵三郎、日本経済新聞出版社 「日本サッカー最大の恩人は誰か」と問われれば、躊躇なく「川淵三郎さん」と答えます。 1968年のメキシコ五輪の銅メダル以降、低迷を続けた日本サッカー。ワールドカップはおろか、オリンピックさえも"アジアの壁"という自分のココロの中につくった壁を越えられずに時間だけが過ぎ去り、遙に追い越された韓国でさえ、自信満々で臨んだワールドカップで子供扱いされる始末。そんな、世界との距離感を測るモノサシさえ失ったかに見えた日本サッカー界にあって、51歳で古河電工での出世を諦めさせられた元東京オリンピックでのゴールゲッター、川淵三郎さんはプロリーグの立ち上げという遠いけど、そこを経由しなければならないという目標を見据え、橋頭堡を築き、アトランタオリンピック出場、フランスワールドカップ出場、Jリーグ立ち上げ、ワールドカップ招致を成し遂げてい