2012年5月27日のブックマーク (4件)

  • 海堂尊〈かいどう・たける〉が語る仕事「一点突破の足場を作る」

    人は打たれ強くなれる 何を言われても死にはしない 今の日があちこちで停滞していると言われることに、僕は憤りを感じます。年かさの人間が、「若い人材がいない」と嘆くことも同じようにやり切れない。僕が医療の世界に居ながら小説を書いたことも、アカデミズムの世界では眉をひそめられる行為です。当にそれでいいのかと思いますね。 戦国時代や明治維新などの激動の時に、日は素晴らしい若い人材が輩出していますが、あの時代が異常だったのかと言えばそうではない。もともと私たちは進取の気性に富んだ国民なのです。しかし安定した時代が続く日では、力を持った年配者が自分の権限にしがみつき、未来の子孫の時間や、伸びていく可能性や、彼らに投入すべき資金をい潰してはいないでしょうか。権限を持っている人間が自分の力を10割行使するのではなく、せめて8割くらいまでにとどめ、残る2割を若い人にすっかり預けてみる度量は発揮でき

    海堂尊〈かいどう・たける〉が語る仕事「一点突破の足場を作る」
    sessendo
    sessendo 2012/05/27
    古本屋の殴り書き: 海堂尊〈かいどう・たける〉が語る仕事「一点突破の足場を作る」
  • 女子力について : 金融日記

    今日、ふと僕のタイムラインを見ていたら、女子が美容にかける費用について話題になっていた。以下、引用である。 ●1か月に1回 よもぎ蒸し 3000円、美容顔筋矯正 14000円、マッサージ 6000円、ネイル 10000円、まつげエクステ 10000円、プラセンタ注射 2000円×2、フォトフェイシャル 10000円 ●2か月に1回 美容院 10000円 ●3か月に1回 ファンデーション 5000円、マスカラ 2000円、アイシャドウ 5000円、アイライナー 2000円、チーク(半年くらいもつ)、洗顔料 5000円、メイク落とし 2000円、化粧水 2000円、乳液 2000円、美容液 5000円、香水 5000円、リップクリーム 1000円、マスクとかパックとか 2000円 …これ計算したら一カ月の美容費用 7万円軽く超えるね。 7万て!家賃か! 僕は、リアルな世界では女子に常にやさしく

    女子力について : 金融日記
    sessendo
    sessendo 2012/05/27
    結局のところ創りだされた女子力というのは幻想に過ぎず、必ずどこかで崩壊するものなのだ。そして崩壊したあとの印象はずっと悪くなる。/金融日記:女子力について
  • 吉田松陰の小児的な自己中心性 - 古本屋の覚え書き

    唯幻論の衝撃 吉田松陰の小児的な自己中心性 明治政府そのものが外的自己と内的自己との妥協の産物 現代心理学が垂れ流す害毒/『続 ものぐさ精神分析』岸田秀 外的自己から切り離された内的自己もそのままではすまない。外的現実への適応は外的自己の役割であるから、その外的自己から切り離された内的自己は、現実との接触を失い、現実感覚を喪失し、退行を惹き起こし、小児的、誇大妄想的になってゆく。古代の王ではあったが、当時、ほとんど名目だけの存在に過ぎなかった天皇が権威を取り戻し、尊王思想が復活したのは、個人で言えば、幼児期への退行である。幕府の屈従策によって危くされた集団としての日のアイデンティティを、言わば日民族の原点に帰ることによって建て直そうとしたのである。天皇を中心に据え、小児的、妄想的となったこのような内的自己にとっては、現実への適応なんかは問題ではないから、当然、攘夷へと走る。尊王と攘夷と

    吉田松陰の小児的な自己中心性 - 古本屋の覚え書き
    sessendo
    sessendo 2012/05/27
    吉田松陰の小児的な自己中心性 - 古本屋の覚え書き
  • 【写真あり】 衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった【教科書に載ってない】

    授業で習った吉田松陰は、松下村塾を開いた聖人君子のイメージかもしれないですが、とんでもない。彼は相当クレイジーな人間だったんです。 吉田松陰はこの人。 多少厳しそうな眼差しをしつつも、偉人らしく穏やかに見えますが、この人の人生は無茶の連続でした。 たとえば、21歳の時、松陰は親友と東北旅行を計画します。しかし、自藩の長州藩に申請した通行手形がなかなかもらえず、友と約束していた旅行日に間に合いそうにありません。 そこで彼はどうしたか? しょうがないので、松陰は死罪覚悟で脱藩します。 いくら目的が東北の海防調査という意義深いものとはいえ…。 旅行の約束をした親友・宮部鼎蔵(みやべていぞう)も正直ドン引きしたと思います。 ちなみにこの方、後に池田屋事件で新選組に襲われ自害します。 さて。吉田松陰 23歳の時、黒船が来航しました。 当時は鎖国まっただ中。武士も農民も、畏敬と好奇の目でアメリカ艦隊を

    【写真あり】 衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった【教科書に載ってない】
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    sessendo 2012/05/27
    【写真あり】 衝撃!幕末の偉人・吉田松陰は相当クレイジーな人だった【教科書に載ってない】 | 幕末ガイド