タグ

ブックマーク / eboli.exblog.jp (4)

  • 最後の敵 : 漂流生活的看護記録

    現在わたしのごく身近な人がガンであることがわかり、闘病中である。彼自身から病名をカムアウトされたとき、わたしは「それって・・・」と言葉に詰まった。医療者な...現在わたしのごく身近な人がガンであることがわかり、闘病中である。彼自身から病名をカムアウトされたとき、わたしは「それって・・・」と言葉に詰まった。医療者ならまず知らない者はいないぐらい悪性度の高い(予後の悪い)種類の腫瘍だったからである。たまたまその頃大学の死生学の講義でガン患者のインタビュー集を読まされていた時で、その中の「自分がガンであると告知されたときよりも、周囲の人々にそのことを伝える方が私にとってはずっと苦痛でした。そう伝えたとたんにみんながすうっと後ろに下がっていくように感じたからです。彼らの頭の中で私なしの人生がそこですでに始まっていました、私はまだ目の前にいるというのに!」という言葉を思い出し、彼にどういう言葉をかけ

    seuzo
    seuzo 2013/03/24
  • 漂流生活的看護記録 : 希望

    しぶしぶたたかうかんごふさん。栄養士をしていた母が「昔は看護婦さんが病棟で経管栄養の素をぬるま湯で溶かして調合してたもんよー、これが油臭くってねえ、とてもやないけど飲んでみようて気になれるもんやなかったわ」と言っていた。わたしが看護師になった10年前はまだ缶やアルミパウチに入った経管栄養をイリゲーターという吊り下げ式のボトルに入れて使っていたところもあったが、今はほとんどがこうした個別のパックになっていて、ディスポーザブルのルートを接続してぶら下げて胃ろうや経鼻胃チューブにつなぐだけのものが主流になっている。昔に比べれば味もずいぶん改良されていて、経口でそのまま飲めるぐらいのものもあるが、毎日これだけ多量の経管栄養を扱っているもので、調子の悪い日などはパックを開封したときに立ち上る甘ったるい匂いに胸がつかえる感じがすることがある、わたしにはどうも無理だ。 ケニアで一緒に働いていたデンマーク

  • 漂流生活的看護記録 : それで満足ですか?

    しぶしぶたたかうかんごふさん。わたしがまだ卒後5年目ぐらいの頃勤めていた病院に転院してきた、わたしと同い年の女性患者がいた。末期がんだった。もう何の手を打つでもなくなった段階で、苦痛の緩和をしながらゆっくり最期まで過ごしたいと人と家族が望んだので、それまで治療を受けていた都心の大きな病院から、何かあって電話すれば5分以内に駆けつけることができる近所にあるうちの病院に移ったのだということだった。入院からしばらくは意識も清明で、面会に来た友人たちと会話したり、家族がもってきた好きなものを少しずつべたりして穏やかに過ごしていた。わたしは同い年だったこともあって、子供の頃に見たTV番組や中高生の頃に流行ったものの話などをよくしていたように記憶している。ある雪が積もった日に「見たい」と言う彼女を、身を起こしただけでも骨転移であちこちの骨にひびが入るような状態だったので看護師3人がかりでベッドごと

  • 証明せよ : 漂流生活的看護記録

    中学の卒業式の思い出話はいいネタだったのだが、実は中学生活全般を通してみると、あまり楽しい時期でもなかったりするのである。わたしの髪はもともとかなり派手な...中学の卒業式の思い出話はいいネタだったのだが、実は中学生活全般を通してみると、あまり楽しい時期でもなかったりするのである。わたしの髪はもともとかなり派手な赤毛で、どこの学校に転校しても必ず一度は呼び出されてそれは染めているのか地毛なのかと尋問された。ある学校でもやはり職員室に呼ばれて尋問されたとき、赤毛がダメなら黒く染めれば問題ないですねと言うと毛染めは校則違反だからダメだという。だったらどうすればいいのかと聞くとそれが地毛で「染めていない」という診断書を医者にもらって提出しろと言われた。そういう証明なら医者よりむしろ理美容師の方が専門ではないか、なによりそんな診断書、何科の医者に診てもらえばいいのかと聞くと「赤ん坊の時からずっと診

    seuzo
    seuzo 2013/03/19
  • 1