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ブックマーク / salon.mainichi-kotoba.jp (2)

  • 「~たり、~たり」を省略しない理由 | 毎日ことば

    省略すると誤解の可能性も それでも最初の「たり」で並列だと分かるのだから、とか、当然・自明のことは省略していくのが言葉の作用の常であり誤解を生むような実害はないのだから、などと思われる方もおられると思います。そこで、次に毎日新聞用語集をごらんください。「誤りやすい表現・慣用語句」の章に「…たり(だり)」の項があります。 「脅したりすかしたり」のように「たり」を重ねるのが基形。「遊んだり学ぶのを手助けする」のように後の「たり」がないと、「遊ぶ」と並立させているのが「学ぶ」か「手助けする」か不明確なので、列挙の場合はできるだけ「たり」を繰り返す 毎日用語集には誤解の可能性があることが明示されています。「遊んだり学んだりするのを手助けする」なのか「遊んだり学ぶのを手助けしたりする」なのかが分からなくなるわけです。こと機能の面からすれば、やはり後ろの「たり」を省略しないほうがよいと言えると思いま

    「~たり、~たり」を省略しない理由 | 毎日ことば
  • 校正おそるべし

    校正おそるべし この言葉は、今日もまだ、ときどき口にせられ、校正者を恐縮させてゐる 「校正の研究」(大阪毎日新聞社校正部編)から引いた。このは1928年に出版された。90年近くも前に記された冒頭の引用は、今日の部分を現在に置き換えても全く問題なく通用する。いつの時代も誤りはおそろしいものだ。 校閲記者になって1年半が過ぎた。堂々と言うことではないが私の目は節穴だ。原稿に潜む(実際には最初からそこにいる)誤字・脱字、事実関係の誤りを見逃すたび、恐縮する。しかし、そんな思いをしているのは私だけではなかった。 当時の校正者を恐縮させていた言葉とは「校正おそるべし」。文章を発信する限り、これからも校正者を恐縮させ続けるであろう。今回はこのおそるべき「校正おそるべし」という言葉を追いかけた。 「校正おそるべし」は、論語の一節をもじったものである。 子曰 後生可畏 焉知来者之不如今也 四十五十而無聞

    校正おそるべし
    seuzo
    seuzo 2015/11/22
    「校正はおそろしいものである。赤字が原稿に及ばないといったい誰がいえようか。4回5回(の再校)にして誤りを正すことが無いのであれば、依頼するに値しない」
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