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創作論に関するsezuのブックマーク (2)

  • 2006-04-12

    とにもかくにも、ぶっ通しで忙しいままにトラブルシューティングをしているので、和月伸宏論を書けないままにきてしまっている。たださすがに今週のジャンプを見ると、当初考えていた俺のDEATH NOTEの第二部最終回予想とかなり重なっていたので、ここはメモ書きでも一発、書かなきゃいけない。ちょっと覚え書きで少年向けビルドゥングスロマンの現在に関する私論をちょっと書いてみる。 以前も書いたが、教養小説=ビルドゥングスロマンの条件をざっくり書くと以下のようになる。 教養小説=ビルドゥングスロマンの定義 未熟な人間が冒険を経た上で、大人へと成長していく過程を描く。 そのストーリー中で主人公が体験・獲得するのは以下のものである。 (1)父親の超克 父親が成し遂げられなかった偉業を達成する。父親は必ずしも実父である必要はなく、「師匠」である場合もあれば、「父の世代が倒せなかった悪」としての「魔王」である場合

    2006-04-12
  • 脚本と演出の違い。 - アセティック・シルバー

    物語論このあいだ教えてもらった両者の違いを確認。ある物語作品があったとして、・一体どういう物語なのかが「脚」・その物語をどう表現するかが「演出」と分けると理解しやすい。意外と分かっているようでわかっていない事なんだよなぁ。この定義の「演出」だとすると、完成作品は「演出」のカタマリなわけだわな。「演出」は見ることができても、「脚」を見ることができないことは結構多い。だからライトなオタクは「演出」について語り合うし、ディープなオタクは「脚」について語り合うという偏見がぼくにある(笑)*1。 「演出」は刹那的かつ瞬間的な快楽を生み出すけど、「脚」は持続的かつ継続的な快楽を生み出すと言ってもいいかもしれない。 さて、この記事中で「演出」をやってのけていることに気づきましたか?。 最初に「脚」と「演出」はこう定義すると言った後にぼくは『「演出」は刹那的かつ瞬間的な快楽を生み出すけど、「脚

    sezu
    sezu 2007/05/20
    そうか、物語だけじゃないんだ。
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