5年連続で有馬記念に出走した現役時代 渡辺さんが北海道浦河町の渡辺牧場で働き始めたのは、後にナイスネイチャと命名される仔馬が生まれた約3カ月後のことだった。1988年に同牧場で生産された牡馬は4頭。うち1頭は脚元が弱く、ナイスネイチャは残りの3頭のなかでボス格として振る舞っていたという。 「お母さんのウラカワミユキがボス的な存在だったので、その影響もあるんだと思います。でも、育成牧場では他の子にいじめられていたみたい。内弁慶というか、井の中の蛙だったんでしょうね(笑)」 1990年12月、京都競馬場でデビューしたナイスネイチャは、2戦目のダート戦で初勝利をあげる。年明け後は6着、3着、2着と足踏みをしたが、夏の小倉で行われた条件戦からGIII小倉記念、GII京都新聞杯を含む怒涛の4連勝。同世代の二冠馬・トウカイテイオーが骨折で戦線を離脱するなか、“夏の上がり馬”の筆頭格として2番人気でGI