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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (2)

  • 無宗教で弔うこと - ohnosakiko’s blog

    国や地域や宗教によって、さまざまなかたちを取るお葬式。日では仏教形式で行われることが多い。これまで私が参列した葬儀は9割方、仏式だった。あとはキリスト教。亡き伯父と伯母がクリスチャンだったからだが、では仏式で弔われた人々は皆仏教徒だったのかと言えば、おそらくそうではないだろう。 年輩者で定期的にお寺参りに行ったりお坊さんの説教を聞きに行ったりする人はいたかもしれないし、そこまでではない人もお盆で先祖の墓参りくらいはしたかもしれない。しかしほとんどの人は、「うちは◯◯宗らしいな」くらいのことはわかっていても、仏教とは無縁の生活を送っていたと思う。多くの人の日常において、特定の宗教の匂いは薄い。 だからいざ身内が死んで通夜だ葬儀だとなると、まず何をどうしていいかまごつくことがある。伊丹十三の映画『お葬式』では、遺族がビデオで仏式葬儀のあらましを学習するシーンがあった。他人の葬儀で何となく勝手

    無宗教で弔うこと - ohnosakiko’s blog
    shachi01
    shachi01 2014/02/27
    お父さんも息子さんもえらいな~ 参考になったので自分のことを書き残すべきだな。私も献体したいけど、油が多くて無理かな~
  • 「偉い男」ほど厄介なことになる - ohnosakiko’s blog

    父が入居している有料老人ホームの、介護士の人に聞いた話である。 「施設に入って認知症が急速に進むのは、女性より男性です。その中でも多いのが、会社の社長さんとか学校の先生。社会的には「偉い立場」で、ずっとこれまで自分が指図する側で来た人ですね。それが、環境が変わって人から看てもらうようになった時、気持ち的に自分の立場を受け入れられなくて、おかしくなってしまう」。 そうでしょうとも‥‥と、父を見ていて思った。 社長さんはどうなのか知らないが、教師は現在、大昔に言われたような「偉い人」ではない。「先生」が「先生」というだけで一応尊敬の眼差しで見られた時代は、とうに過ぎ去った。でも今、老人ホームにいる人は「先生がまだ偉かった時代」を生きてきた人である。89歳の父はまさにその典型だろう。 高校教師を長年勤め、頭のてっぺんから足の先までガチガチの先生気質だった父。家族の上にも父親兼教師として君臨してき

    「偉い男」ほど厄介なことになる - ohnosakiko’s blog
    shachi01
    shachi01 2013/11/23
    女って、強いのね。心が壊れるって、切ないね。生きるって、難しいね。それでも、気にかける家族がいる幸せ。なんか、しんなこと考えた。
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