「早く社長から解き放ってくれ、というのが僕の意思。イノベーションに関わることなど、社長よりも得意なことがあると思っている。2~3年ぐらいは会社に通うけれど、“しょうがないジジイ”だなと言われる存在に早くなりたい」――。 コピーライターの糸井重里氏が設立した「株式会社ほぼ日(ほぼにち)」は3月16日、ついに東京証券取引所のジャスダック市場に株式上場を果たす。2月21日に開かれた上場前説明会で、現在68歳で社長を務める糸井氏が、「ポスト糸井」の後継者などについて聞かれて答えたのが冒頭のコメントだ。「そういう目で組織を見ているし、外から入ってくださる方がいるとしたらどういう方なのかなと探している最中」と糸井氏は続けた。 昨年12月に現社名に変更 社名については、糸井氏が1998年6月に開設したウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の略称「ほぼ日」に由来する。株式会社としては2002年10月に東京糸井
わかっていました。うちは両親ともアイヌなんです。「お前はアイヌだからね。それを恥ずかしいと思うんじゃないよ」と、物心つくまえから父に言われていました。 ご両親はアイヌの活動をなさっていた? 父はやってなかったけど、母はやっていました。母は川村カ子ト(かわむらかねと)* の娘なんです。川村カ子トアイヌ記念館での行事もあるし、保存会でアイヌの古式舞踊を踊っていました。小さいころは私も一緒に踊ってたんです。 1893年生まれ、北海道旭川永山町(現・旭川市永山)出身。上川アイヌの長で旧国鉄の測量技手。川村カ子トアイヌ記念館の館長としてアイヌ民族の文化保存に尽力した。1977年没 近所には一緒に遊ぶようなアイヌの友達はいましたか? 旭川の近文(ちかぶみ)地区に住んでいたけど、まわりにアイヌの友達はいませんでした。小学校でも、自分がアイヌだとオープンにしているのは私ぐらい。まぁ、川村カ子トの孫だと知ら
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