アレクサンドル・フョードロヴィチ・モジャイスキー(ロシア語: Алекса́ндр Фёдорович Можа́йский アリクサーンドル・フョーダラヴィチュ・マジャーイスキイ、 1825年3月21日(ユリウス暦3月9日) - 1890年4月1日(ユリウス暦3月20日))はロシア人で、蒸気エンジンを搭載した飛行機を製作し、1884年に飛行実験を試みた人物。これは、(知られている限りでは)フランス人フェリックス・デュ・タンプルの実験に次ぐ史上二番目の有人動力飛行の試みであった(航空に関する年表を参照)。現在のフィンランド生まれのロシア帝国の貴族出身。 内燃エンジンの草創期にあっては、機械加工技術の発達と共に性能が上がった蒸気エンジンによる航空機研究がヨーロッパ各国で盛んに行われていた。上空では水の供給が事実上不可能なため、巨大なコンデンサー(復水器)を備えた精密なエンジンによる航空機への