ドイツ民主共和国は社会主義国を標榜していた[1]。政治体制はソ連型社会主義で典型的な一党制ではなく反ファシズムを最大公約とした複数政党による議会制民主主義国(人民民主主義)の形態を採っていたが、実際はドイツ社会主義統一党 (SED) が寡頭政治政党として指導権を有していた[2]。SED以外に4つの政党が存在を許されていたが、衛星政党としての性格が強かった(ヘゲモニー政党制)。多数のソビエト連邦軍が駐屯する冷戦の最前線でもあり、政治的・軍事的にはソ連の衛星国であった。 経済では第二次世界大戦の被害と、ソ連による賠償の取り立てを乗り越え、1970年代までは中央・東ヨーロッパの社会主義諸国の中で最も発展していた。一般家庭への自家用車の普及は進まず、常用された電化製品も西側のものに比べ旧式であったが、テレビでは多数のCMが流されるなど、共産圏では異例の消費社会に到達できた生活水準(中華人民共和国に