タグ

ブックマーク / ameblo.jp/miyazawatakashi (5)

  • 宮澤崇史『引退』

    今季をもって引退する事を決意いたしました。 ジャパンカップが、UCIレース最後のレースとなりました。 きちんと気持ちの整理をつけたのが10月になってからだったので、レース前のプレゼンで突然の報告となり、最後のレースに臨みました。 私の頭で思い描く走りと、結果がイコールにならなくなり、チームに貢献する事が出来ない事が最大の理由です。 私は、「ヨーロッパで勝つ」事を目標に今まで走ってきました。 その目標を変える事無く、最後まで貫く事が私の自転車人生でした。 右も左もわからず実業団のレースを走っていた時代に、大門監督がイタリアで走る機会を作ってくださいました。そして選手を辞める最後の年も大門監督の元で終了しました。 私が強くなれるきっかけをくれたもう1人の監督、浅田監督は我儘勝手な私の性格をいつも見守ってくださり、レースに集中させてくれる大きな存在でした。 大門監督も浅田監督も、私がレースで結果

    宮澤崇史『引退』
    shaw
    shaw 2014/10/27
    宮澤さんのレース解説は聴いててとても面白いので、Jスポ解説のレギュラーになってほしいなぁ。
  • 宮澤崇史『来期の活動について』

    2013年、私はチームサクソバンク・ティンコフバンクと契約を更新しました。 長い間ご報告ができず 自分自身も気持ちが折れそうな事もありましたが、最終的にチームとの契約更新が出来た事をとても嬉しく思います。 このチームが私の走りを評価してくれた事に感謝し、来年も今年以上の成績と走りをしたいと思っています。 今は グランカナリアのチームキャンプに参加しており、私の気持ちも既に2013年です。 まだカレンダーはわかりませんが、精一杯走って行きたいと思います。 今後とも応援よろしくお願いします。

    宮澤崇史『来期の活動について』
  • 宮澤崇史『世界選手権レポート レース編』

    コペンハーゲンに入ったのは約1週間前、体調も気持ち的にも良い状態。不安材料があるとしたら、レースが10日ほど空いてしまった事くらい。 その代わりトレーニングは番を想定して出来たので、自信を持ってデンマークの地を踏んだ。 こちらに着いてからは、フミと幸也と色々と話が盛り上がり、練習も普段とは違った感じでリラックスしてトレーニングが出来た。 レース2日前のカーペーサーでは40kmしっかり足を回せたので、久しぶりに軽い足が戻ってきた。最後は最高時速78km/h!!!(速かった) そう言えばトスカーナから持ってきたオリーブオイルが好評だった。やっぱりイタリアのオリーブオイルは美味いわ。 コースはラインで28km、そのまま周回コースに入って14kmを17周回する238kmする266km。 上りは2カ所しかないが、ゴール前と4km地点の上り以外は高速で流れるスピーディーなコース設定。道の細い箇所もあ

    宮澤崇史『世界選手権レポート レース編』
  • 宮澤崇史『サニーサイクラシック(プレオリンピックレース)』

    遅くなりましたが、感情的になっている状態で書きたく無かったので。 サニーサイクラシック 比較的平坦なコースレイアウトというコース情報だったので、平坦中心のスプリント勝負をイメージして今回のレースには1ヶ月程前から準備して臨んだ。 ロンドンに到着すると天候をチェック、レースまでは雨も降らず気温も最高24度と安定していて一安心、落ち着いてレース当日までの準備ができた。 レース当日 朝早いスタートだったので気温は低く、チームプレゼンテーションにはウインドブレーカーを着て行く。観客は思ったより少ないが、ラスト3kmを試走しに行くと沢山の人が沿道で応援していた。 残り3kmからは道幅も広がったり細くなったり、コーナーも多いので集団の前で位置どりをし続けないと勝負にならない。 昨日のミーティングでは ①前半は、土井選手、福島選手がアタックに乗れたら乗り、後半追走集団に日チームが乗って来た時に優位にレ

    宮澤崇史『サニーサイクラシック(プレオリンピックレース)』
  • 宮澤崇史『ミラノ~サンレモ 2011』

    2011ミラノ~サンレモ ミラノのスタート地点、1分間の黙祷は自分にとって一生忘れられない時間だった。 この日を夢見たのはいつの事だっただろう。 19歳の時イタリアはベルガモのアマチュアチームで、場イタリアの自転車文化に触れ、プロのレースを見た時には身震いした。 U23の1年目だったが、エリートチームだった自分はシーズン中のほとんどのレースを完走出来なかった。 1度だけプロと混合のレースに出た時は、30kmでレースをリタイアした。 「なんてレベルの高い世界だ!」 いつか自分もあそこで走りたい!絶対に走って見せる!心に誓った。 2011年、イタリアの「ファルネーゼヴィーニ」と契約をした時には、14年の歳月がたっていた。 そしてあの時誓ったレース以上の、ワールドカップ「ミラノ~サンレモ」という夢の舞台に出場するチャンスをつかんだ。 レース前、過去に例を見ない程の震災が日を襲い、胸が引き裂か

    宮澤崇史『ミラノ~サンレモ 2011』
  • 1