前回は、坂本龍馬暗殺の実行犯が京都見廻組の可能性が高いことと、黒幕がいるとする諸説の中で薩摩藩黒幕説について書いた。今回は別の黒幕説を書こう。 龍馬の出身である土佐藩にも、黒幕とされている人物がいる。良く名前が出てくるのは後藤象二郎だ。 大政奉還のアイデアは龍馬のものであることは今では多くの人が知っているが、当時土佐藩参政であった後藤象二郎は、龍馬が発案した策をそのまま受け入れて、藩主山内容堂の承認を得た後、慶応3年10月3日に、徳川慶喜公に進言した。1カ月後に土佐に戻り、山内容堂から破格の賞与を授かり家老格に抜擢されるのだが、当時は大政奉還の発案は後藤によるものと考えられており、龍馬によるものであることを知る人は少数であったらしいのだ。 後藤象二郎説は、龍馬のアイデアのパクリが山内容堂公らに発覚するのを恐れて龍馬を暗殺したという話なのだが、もしそのことが理由ならば、龍馬の発案であることを