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コミンテルンに関するshibayan1954のブックマーク (2)

  • 太平洋戦争緒戦の日本軍の強さは米英軍の予想をはるかに超えていた

    前回まで2回に分けて日米開戦の経緯について書いた。 真珠湾攻撃のことはあまり書かなかったが、アメリカ側は、戦艦8隻の内5隻が沈没され3隻が損傷により航行不能となったほか、航空機188機が破壊されて、戦死者が2345名など米軍の被害はかなり大きかった。一方日軍の損害は、航空機29機、戦死者55名と少なく、日軍の奇襲は大成功に終わっている。 アメリカは目論見通りに挑発によって日軍に真珠湾を奇襲させたのだが、ここまで損害がでることは予想していなかったはずだ。 というのは、既にドイツとイギリスとの戦争は始まって約2年も経過しておりながら、ドイツ空軍はイギリス海軍に対して、有効な打撃を与えていなかったからだ。 ドイツの潜水艦は主に通商破壊のために商船を攻撃することを主任務としていたこともあるが、当時の魚雷は、海中から発射しても、厚さが数十センチもある戦艦の甲板の鋼板を貫くことは出来ず、戦艦を撃

    太平洋戦争緒戦の日本軍の強さは米英軍の予想をはるかに超えていた
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/10/31
    開戦後わずか3日でアメリカ太平洋艦隊とイギリス極東艦隊は全滅し、それ以後、約2年間、西太平洋と東インド洋の制海権は日本の掌中に帰した。なぜ日本軍は短期間で大きな戦果を挙げることができたのか。
  • 軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿

    前回の記事で、日軍には左翼分子が少なからずいて、軍部の「暴走」のいくつかはコミンテルンの工作指示に従ったものではないかということを書いた。当時、そのことに気が付いた人の記録が残っていることも書いたが、今回は昭和20年2月に近衛文麿が天皇陛下に対して戦争の早期終結を唱えた『近衛上奏文』を紹介したい。 この上奏文の中で近衛はわが国の左翼分子が我が国を第二次世界大戦に突入させたことを明確に書いているのだが、どういうわけかこの『近衛上奏文』は、わが国の「昭和史」の通説ではほとんど無視されているように見える。 近衛文麿は3度にわたり内閣総理大臣に指名され、第一次近衛内閣(昭和12年6月~14年1月)では盧溝橋事件が引き金となって支那事変が泥沼化し、第二次近衛内閣(昭和15年7月~昭和16年7月)では八紘一宇による大東亜共栄圏の建設を宣言し、日独伊三国同盟や日ソ中立条約を締結させて世界大戦に突入させ

    軍部や官僚に共産主義者が多数いることに気が付いた近衛文麿
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/10/31
    昭和20年2月に近衛文麿が天皇陛下に対して戦争の早期終結を唱えた『近衛上奏文』には、わが国の左翼分子が我が国を第二次世界大戦に突入させたことを明確に書いている。このような重要文書が無視されるのは何故か。
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