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坂本龍馬に関するshibayan1954のブックマーク (3)

  • 坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか~~その3

    以前、龍馬を暗殺したのは誰かについて2度にわたりこのブログで書いた。 そこでは、この事件の黒幕がいたかどうかについては諸説があるが、暗殺の実行犯については京都見廻組で、龍馬を斬ったのは今井信郎だというのが定説になっていることを書いた。しかし今井の言うことを全く信用しなかった土佐藩の谷干城(たにたてき:第二代学習院院長、初代農商務大臣)もいる。どちらが正しいのだろうか。 明治33年(1900)に今井信郎は甲斐新聞の記者・結城礼一郎の取材に応じ、自分が龍馬らを斬ったことを詳細に語った記事が「近畿評論第17号」という雑誌に掲載された。その記事の一部を次のURLで読む事が出来る。 http://www.ryomadna.net/ryoma-ansatsu/20070907000004.php 今井信郎は仲間の三人とともに、松代藩士を騙って近江屋の二階に上がってからの部分をしばらく引用させていただく

    坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか~~その3
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/04
    薩摩関与説は龍馬暗殺直後から噂され、その年の「肥後藩国事史料」にも12月11日「坂本を害候も薩人なるべく候事。」という記述があるという。事件直後に公文書で薩摩関与説の記録が残っている事は注目して良い。
  • 坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~その2

    前回は、坂龍馬暗殺の実行犯が京都見廻組の可能性が高いことと、黒幕がいるとする諸説の中で薩摩藩黒幕説について書いた。今回は別の黒幕説を書こう。 龍馬の出身である土佐藩にも、黒幕とされている人物がいる。良く名前が出てくるのは後藤象二郎だ。 大政奉還のアイデアは龍馬のものであることは今では多くの人が知っているが、当時土佐藩参政であった後藤象二郎は、龍馬が発案した策をそのまま受け入れて、藩主山内容堂の承認を得た後、慶応3年10月3日に、徳川慶喜公に進言した。1カ月後に土佐に戻り、山内容堂から破格の賞与を授かり家老格に抜擢されるのだが、当時は大政奉還の発案は後藤によるものと考えられており、龍馬によるものであることを知る人は少数であったらしいのだ。 後藤象二郎説は、龍馬のアイデアのパクリが山内容堂公らに発覚するのを恐れて龍馬を暗殺したという話なのだが、もしそのことが理由ならば、龍馬の発案であることを

    坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~その2
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/04
    政治的な動機や個人的な動機ではなく、経済的動機で龍馬が殺されたと考える説もある。龍馬が暗殺されて巨額の富を手にした人物が臭いという考え方である。 「いろは丸」事件で巨富を手に入れたのは誰か。
  • 坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~ その1

    先日友人と飲んでいたら、たまたま坂龍馬の暗殺に誰が関わったかが話題になった。友人は私の知らない話をいろいろ披露してくれて少し興味を覚えたので、龍馬の暗殺事件についてちょっと調べてみた。 坂龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋の二階で暗殺されたのは慶応三年(1867)11月15日だが、誰が殺したかについては当時から諸説がある。 当初は新撰組が疑われていたが、後に京都見廻組の佐々木只三郎外数名であるとし、龍馬を斬ったのはその中の今井信郎であるというのが今では定説になっている。 上の写真は佐々木只三郎だが、京都見廻組とは幕末期に幕臣により結成された京都治安維持のための組織で、新撰組とともに反幕府勢力を専門に取り締まっていた。 上の写真が今井信郎だが、戊辰戦争を生き抜き箱館戦争で取り調べを受けた今井信郎の明治3年の証言では、自分は見張り役だったと主張し、禁固刑を経て釈放されている。 ところが今井は、明

    坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~ その1
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/04
    坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されたのは慶応三年11月15日だが、誰が殺したかについて当初は新撰組が疑われたが後に京都見廻組であるとされ、龍馬を斬ったのは今井信郎であるというのが今では定説になっている。
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