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山田長政に関するshibayan1954のブックマーク (1)

  • 日本人傭兵隊がシャムで結成され、山田長政が活躍した背景を考える

    前々回の記事で、1604年に朱印船制度が創設され、それ以降1635年まで、350隻以上の日船が朱印状を得て海外に渡航したことを書いた。渡航先は安南、スペイン領マニラ、カンボジア、シャムなどの東南アジア諸国であったのだが、それらの地域には多くの日人が移り住んで日人町ができたという。 「移り住んだ」と書くと、如何にも日人全員が自分の意志で海外に渡っていった印象を受けるのだが、もう少し正確に言うと、少なからずの日人が奴隷として売られて行って住み着いたということだ。 以前このブログで3回に分けて、豊臣秀吉が「伴天連追放令」を出した経緯について書いたことがある。 当時わが国に滞在していたイエズス会宣教師のルイス・フロイスがその点について詳細な記録を残しているのだが、それによると、九州征伐で博多にいた秀吉は、天正15年(1587)7月24日にイエズス会の日準管区長のガスパル・コエリョに対し

    日本人傭兵隊がシャムで結成され、山田長政が活躍した背景を考える
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/22
    山田長政がシャムに渡ったのは慶長17年頃とされているが、当時のシャム国のアユタヤでは日本人がソンタム国王の護衛兵を勤めていたという。彼らがシャムに渡った理由について追及されないのは何故なのか。
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