引き続き条約改正に関する記事を続ける。 前回の記事に関する補足だが、わが国の悲願であった条約改正を成功させる寸前まで来た大隈重信の交渉を、振出しに戻した背景には何があったのだろうか。 早稲田大学名誉教授の木村時夫氏は『日本における条約改正の経緯』のなかで、この背景についてこう解説しておられる。 「…当時の日本国民は井上案と大隈案とを仔細に比較検討することをせず、外国人判事任用の一点だけを取上げ、それを国辱であるとした。 日本の現状においては大隈案が最良であり、それによって改正が実現すれば、国家財政はいうまでもなく、国民の日常生活も向上し、また豊かになるという現実的利益を考えようとしなかった国権主義の陰に、具体的な国民の利益がかくされてしまったともいえよう。 反対運動が激しくなった他の理由に、政府部内における対立があった。それは大隈案によって条約改正が実現した場合、国民の間における大隈の声望
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