鎌倉の鶴岡八幡宮に以前は薬師堂や護摩堂や経堂や大塔があったことを最近知った。 鶴岡八幡宮は、明治以前は「鶴岡八幡宮寺」という神仏習合の寺院であり、明治初期の廃仏毀釈で仏教施設がすべて撤去されてしまったということである。 上の写真は江戸時代に書かれた境内図、下の写真は現在の境内図だが、現在の社務所や幼稚園、研修道場などのあるあたり一帯に仏教施設が建てられていたことがわかる。 幕末に来日したイギリス人の写真家フリーチェ・ベアトが江戸時代の「鶴岡八幡宮寺」の写真を残している。 上の写真はベアトが撮った大塔の写真と言われている。またこの時期に来日したスイス人の実業家エメェ・アンベールも、著書「絵で見る幕末日本」(講談社学術文庫)の中で、当時の大塔の細密画を残している。 4つめの写真は破壊された愛染堂に安置されていた愛染明王の写真である。(今は五島美術館にある) 今でこそ「八幡」といえば神社を連想す