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神仏習合に関するshibayan1954のブックマーク (4)

  • 消えた鶴岡八幡宮寺大塔など

    鎌倉の鶴岡八幡宮に以前は薬師堂や護摩堂や経堂や大塔があったことを最近知った。 鶴岡八幡宮は、明治以前は「鶴岡八幡宮寺」という神仏習合の寺院であり、明治初期の廃仏毀釈で仏教施設がすべて撤去されてしまったということである。 上の写真は江戸時代に書かれた境内図、下の写真は現在の境内図だが、現在の社務所や幼稚園、研修道場などのあるあたり一帯に仏教施設が建てられていたことがわかる。 幕末に来日したイギリス人の写真家フリーチェ・ベアトが江戸時代の「鶴岡八幡宮寺」の写真を残している。 上の写真はベアトが撮った大塔の写真と言われている。またこの時期に来日したスイス人の実業家エメェ・アンベールも、著書「絵で見る幕末日」(講談社学術文庫)の中で、当時の大塔の細密画を残している。 4つめの写真は破壊された愛染堂に安置されていた愛染明王の写真である。(今は五島美術館にある) 今でこそ「八幡」といえば神社を連想す

    消えた鶴岡八幡宮寺大塔など
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/28
    鎌倉の鶴岡八幡宮、明治以前は「鶴岡八幡宮寺」という神仏習合の寺院であり、明治初期の廃仏毀釈で護摩堂や経堂や大塔などの仏教施設がすべて撤去されてしまった。
  • 但馬安国寺の紅葉と柏原八幡神社の神仏習合の風景などを訪ねて

    さて、旅行の2日目に入るが、朝一番に向かったのは兵庫県豊岡市但東町にある但馬安国寺。紅葉の名所なので朝一番に向かったのだが、すでに大勢の観光客が来ていた。 「安国寺」というと、南北朝時代に足利尊氏・直義兄弟が京都天龍寺の夢窓疎石の勧めにより、後醍醐天皇をはじめとする南朝の戦没者の菩提を弔うために各地に建てたと伝えられ、この但馬安国寺も全国に68ある安国寺のうちのひとつなのだが、いろいろ調べるとそれらの寺をすべて新たに建てたわけではなく、一部は既存の寺院を改称したケースも多いらしい。 この寺は鎌倉時代後期に無覚心(法灯国師)による開山といわれ、貞和元年(1345年)に「安国寺」と改称されたものだという。 その頃の境内は現在地より南方三百メートルのところにあり、寺伝によると足利幕府より朱印と三百石余の禄が与えられ、七堂伽藍を有した大寺院だったそうだが、享保2年(1717)に火災ですべてを焼失

    但馬安国寺の紅葉と柏原八幡神社の神仏習合の風景などを訪ねて
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/03
    但馬安国寺の紅葉は有名だが、狭い空間を見事に活かして、紅葉時期には毎年多くの観光客を集めているのに驚く。途中で柏原八幡宮に立ち寄る。この本殿の後ろには三重塔が聳え、神仏習合時代の風景を今も残している。
  • 「がらくた」置場 by S_Minaga

    お知らせ:2024/02/12 「がらくた」とは私自身の力量のことで、取り扱っている素材のことではありません。 このサイトはある「老人」が暇つぶしに作ったもので、役に立つ情報はほとんどありません。 日国憲法/第九条 1 日国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇 又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 --- 当サイトにあるオリジナル画像の加工・使用・配布などはフリーです。(著作権などの腐った主張は致しません。):s_minaga --- 更  新  履   歴 2024/10/29:最新情報更新。2024/04/11撮影(讃岐丸亀日堯・日了・日述廟所、 讃岐丸亀行寺・真門流、讃岐丸亀宗泉寺、讃岐丸

    shibayan1954
    shibayan1954 2017/10/29
    廃仏毀釈や神仏分離に関する情報の宝庫です。塔に関する情報に限られますが、一人でここまで詳しく調べておられることに頭が下がります。
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1185.html

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