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西教寺に関するshibayan1954のブックマーク (1)

  • 慈眼堂、滋賀院門跡から明智光秀の墓のある西教寺を訪ねて考えたこと

    日吉東照宮からケーブルの坂駅方面に抜けて右折し、坂を下って県道47号線を超えると、すぐ近くに滋賀院門跡につながる小道がある。しばらくこの小道を歩くと、木々に囲まれて、スギ苔と石畳の美しい空間に辿りつく。 石灯籠が導く先には、天台宗の僧で徳川家康の政治顧問であった南光坊天海の坐像のある廟所で、三代将軍徳川家光が作らせたという延暦寺慈眼堂(滋賀県文化財:大津市坂4-6)という建物がある。 慈眼堂の向かって左には、近世以降の天台座主らの廟所になっていて多くの石造五輪塔や宝篋印塔がある。あまり詳しく見なかったのだが、桓武天皇、後陽成天王、後水尾天皇や、徳川家康、新田義貞、紫式部、和泉式部などの供養塔もここにあるそうだ。 慈眼堂から右に進むと下り坂が続いてすぐに滋賀院門跡(077-578-0130、大津市坂4-1772)が見えてくる。 案内板には寺の由来をこう解説している。 「元和元年(161

    慈眼堂、滋賀院門跡から明智光秀の墓のある西教寺を訪ねて考えたこと
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/15
    光秀は山崎の合戦に敗れて落ち延びる途中、小栗栖という地で農民に竹槍で刺された後、家臣に介錯させて自害したとされているのだが、墓のある西教寺には光秀本人の首が確認されていないのである。
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