前回の記事で江戸幕府は、島原の乱の「一揆勢」のバックに外国勢力がいると考え、その国はポルトガルであるとしていたことを書いた。だからこそ江戸幕府は天草四郎の首を、長崎の出島にあったポルトガル商館の前に晒し、ポルトガルと国交を断絶するに至ったのである。 実際に島原の乱の「一揆勢」がどこの外国勢力と繋がっていたかどうかについては、ポルトガル側には決定的な史料はないようなのだが、江戸幕府がそう判断していたことが重要なのだ。 宗教に限らず思想についても言えることなのだが、特定地域の住民の多くが外国勢力に強く憧れを持ち、自国がその勢力に征服された方が良いと考える程洗脳されていたとしたら、その外国勢力にもしわが国を侵略する意思がある場合には、その地域住民を味方に付けることで容易にその目的を果たすことができる。 前々回の記事で紹介したイエズス会のペドロ・デ・ラ・クルスがイエズス会総会長に宛てた書翰を読むと
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