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鎖国に関するshibayan1954のブックマーク (1)

  • シーボルトが記した「鎖国」の実態を知れば、オランダの利益の大きさがわかる

    出島は寛永13年(1636)に、ポルトガル人を収容させるために長崎の港内に人工的に造られた埋立地だが、ポルトガル船の日への渡航が禁止されたのち、平戸にあったオランダ商館が移されて、寛永18年(1641)にオランダ人の居住地となった。 島の形状は縦65メートル、横190メートルの扇形で、面積は1.3ヘクタール程と狭く、その島にカピタン(商館長)の住まいのほか、商館で働く人々の住宅や乙名部屋、通詞部屋、札場、検使場、倉庫、番所など65軒の建物があり、カピタンのほか十数名のオランダ人が住んでいたのだが、閉じ込められていたという表現の方が正しいのかもしれない。 のちにオランダ商館医として来日し、鳴滝塾を開設して多くの弟子を育てたドイツ人のシーボルトが著した『日交通貿易史』というが、国立国会図書館の『近代デジタルライブラリー』で公開されている。このの第7章に、オランダ人が平戸から出島に居住さ

    シーボルトが記した「鎖国」の実態を知れば、オランダの利益の大きさがわかる
    shibayan1954
    shibayan1954 2017/11/02
    日本史の教科書や通史には、江戸時代の鎖国令以降、世界の銅相場を動かすほどわが国の貿易高が拡大したという史実がどこにも書かれていない。17世紀後半から18世紀前半までは、日本が世界第1位の銅生産国であった。
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