金足農高が「東北初の甲子園優勝校となるか」みたいなテレビや新聞の報道を見ていると、それだけで苦笑いしたくなる。 秋田県は明治初期の戊辰戦争で一体何をしたか。 戦争中期、現在の秋田県内の久保田藩は奥羽越列藩同盟を離脱して、いち早く新政府軍に参加したことを忘れたわけではないだろう。 秋田の同盟離脱で戦争決着の帰趨が決まったとも言い切れないにしても、この一件は現在でも東北全体で禍根を残している。 未だに仙台や福島においては、秋田県民を裏切り者呼ばわりする人がいるのだ。 詳しく知りたい人は、ウィキの「秋田戦争」のページを読んでみてね。 戦後、官軍側についた秋田県は新政府から様々な面で優遇された。 南部藩にあった小坂鉱山のある小坂地区は秋田県に編入されたし、現在の県立高校に相当する旧制中学も、東北では秋田で最初に設立された。 秋田には秋田美人が多く、仙台はブスばかりという迷信も、秋田優遇の思想から生